「やりたいことがない人」に本当に足りていないもの〈風、薫る第117回〉

明治時代の義務教育

 長年会わずにいた実父がすぐそばに来ているとまだ知らない環(瀧七海)は今日もまたチュウ(若林時英)の店で油を売っている。客の似顔絵を描いていると、チュウが店の引き札(宣伝チラシ)を頼むが、あっさり断る環。店でお茶しながら似顔絵描いている時間はあるのに。

 事務所でセツ(村上穂乃佳)に字を教える時間はあるのに。いや、こっちを優先させようとしているのかもしれない。字を教えながら、絵を描いている環にセツは「本当に絵が好きなんだね」と感心する。

 セツには何か好きなものないのか、環が訊ねる。

 生きるのに必死だったから、お金にならないことに時間がとれなかった、とセツは答える。いま、勉強させてもらえるようになったことを贅沢だと感じている。

 何年もたって、セツはようやく、ただ生きるためにお金を稼ぐのではなく、勉強する余裕を得ることができた。この先、好きなことを見つけることもできるようになるかもしれない。

 朝ドラでよくテーマになってきたのは、やりたいことを実現することだった。主人公たちは夢を持ち、それに向かってそれぞれのペースで歩んでいった。だが、現実的には、セツのように、「好きなこと」を考えるという概念すらなく、ただただ生きるために必死な人たちも少なくないのだ。

 セツの場合、1回、つらい労働から解放されたように見えたが、またしても、逆戻りしてしまいそうになった。快適に生きるために必須な学問ができないから、どうしても生きる選択肢が少ない。

 誰もが、最低限学べる義務教育について、文部科学省のサイトによれば明治時代、変遷があるのがわかる。

「義務教育」という言葉がはじめて現れたのが、明治19年(1886年)の小学校令。義務教育3~4年(尋常小学校を卒業するまで)と規定された(ただし、地方の学校設置義務が規定されなかったため、論者により、義務教育の開始年を明治23年とする者もいる)。

 明治33年(1900年)には、小学校令の改正で、公立尋常小学校の授業料が原則として無料になり、就学率が大きく上がった。

 学校に行けなかったセツと、りんが何がなんでも学校に行かせようとした環が対比になっている。

 セツが文字を学習しているのを見ると、かつて帝都医大病院で働いていた看病婦のツヤ(東野絢香)が思い浮かぶ。彼女はどうしているだろうか。