
自由を奪われて救われた
シマケン(佐野晶哉)の下宿にやって来たのは、環。そこに郵便配達夫の制服で帰ってくるシマケン。佐野晶哉の郵便配達員の出で立ち、新鮮。
着物に着替えてから、環の絵を見る。
チュウの店の引き札の絵を描く依頼を一度は断ったが、「どうしてもいろいろ思い浮かんじゃって」と、帳面にはたくさんの美味しそうに食べる人たちが描かれている。
「創作は恐ろしい。一度でも生み出す喜びを覚えるともうその欲望から逃れられなくなる。知らない方がよかったな。ぼくも環ちゃんも」
そう言いながら、にこにこ見てるシマケン。ここからシマケンと環の創作人生論となる。
絵を仕事にしたいという環。それを「僕が? 笑うわけない」と言葉に力をこめる。
「さみしいとき、つまらない時…。それが環ちゃんの居場所だった。心のよりどころがいつしか夢になってしまうのは痛いほどわかる」
環と入れ替わりにりんがくる。ここではシマケンの台所に立つ姿が調理人みたいに見える。
環の創作への情熱に触れ、若かったときの自分を思い返す。
「僕はずっと何者でもない自分でいるのが苦しかった。書けば書くほど、空虚な自分…。いや。また気取ってるな。悪い癖だ」
あの頃は苦しかったと語るシマケン。
「自由でいるのが苦しかった。誰のせいにもできないから。だから、家族に助けを求められて。自由を奪われて救われた。幼い文四朗(蒼井旬)のために働くのは思いのほか満たされて。あれだけ多くの人に認められたいと思ってたのに…。あいつが腹いっぱい食べてるのがうれしくて…」
このセリフは興味深い。孤高の自由と家族や誰かのために生きることのどちらを選択するか。どちらにも優劣をつけることなく、相反するもののなかで人は揺れるのだと説く。
自由は楽なものではない。自由であるということは、自分で選び、その結果も自分で引き受けるということでもある。自由を守るのは茨の道だ。
シマケンは自由を守る戦いからおりて、甥のために生きるという社会的な義務や責任を選んだ。
2026年のいま、フリーランスをやめて正社員に戻る人が増えている現象がSNSで話題になっている。「家族」や「文四朗」を「会社」と差し替えてみても通じるだろう。
“「会社」のために働くのは思いのほか満たされて”
成果を出して喜ばれることで経済的にもメンタル的にも満たされる。こういう生き方もあっていい。とくに不況な時期にはそのほうがいいかもしれない。
シマケンは「家」に回帰した。だが今度は環が「自由」の海に船出していく。
気になったのが、文四朗の母のことだ。シマケンの義姉はどうしたのかと思ったら、公式サイトの文四朗の解説に「母・絹亡き後、健次郎が親代わりを務めていた」と書いてあった。
父は失踪、母・絹は死亡。シマケンが文四朗の面倒を見るしかなくなってしまった。これじゃますますりんのところには戻ってこられなかっただろう。
絹が亡くなったことはこれからセリフで語られるのだろうか。このまま語られない死だったら画期的。いろんな意味でこの先が楽しみだ。








