みみと他のメンバーは謝罪を経て和解するし、この後の共同生活で打ち解ける様子も見られる。ラヴ上等の他のシーズンでも見られるような、メンバー同士の絆も生まれる。
しかし2期は結局、最後までこの騒動を引きずったようにも見えてしまった。メンバー個人同士の衝突ならいざ知らず、集団が一人をハブにする「いじめ」は、いかなる理由があっても見る側に嫌なものを残す。当事者たちにとってはなおさらだろう。
嫌な見方をすれば、「ご飯抜き」事件は制作側にとってはおいしい展開だったかもしれない。多少の衝突があり、その後に和解があるのは、リアリティショーにおいて物語を生む要素でもある。
もちろん、制作側があの展開を意図していたのかどうかはわからない。ただ、女子だけで料理をさせ、その間に転校生のみみが男子メンバーと交流する状況を用意すれば、対立が生まれやすくなることは容易に想像できたはずだ。女子メンバーと打ち解けることを優先するなら、みみも一緒に料理する設定にもできただろう。
台本がなくても、置かれた状況によって人の感情や行動は大きく変わる。その意味で、この場面にはリアリティショーを制作する側の責任について考えさせられた。
番組側に求められる若者を出演させる責任
出演メンバーたちのSNSを見ると、どうやら番組に関する投稿は、最終回の配信までは禁止とされているようだ(番組出演の告知を除く)。最終回が配信されて以降に、メンバーたちはSNSで視聴者と交流したり、オフ画像を投稿したりしている。
これはおそらく、ネット上でのメンバーへの誹謗中傷が加熱しないための番組側の策なのだろう。出演者を守るための対策については、ある程度は検討されているものと思いたい。
人間は誰しも良い面と悪い面があり、それは環境によって変わっていくものでもある。『ラヴ上等』は恋愛リアリティショーでありながら、共同生活を通じて元ヤンキーの人間的成長が垣間見られる部分も確かにある。
しかしシーズン2の2期では、番組が設定したシチュエーションによって、出演者の悪い面が過剰に引き出されてしまったように見えて残念だった。出演者がどのように行動するかを制作側がすべて予測できるわけではない。それでも、若者を出演させ、その姿を多くの視聴者に見せる以上、どのような状況を用意するのかについて一定の責任はあるはずだ。
リアリティショーでは、視聴者はどうしても映し出された出演者個人の言動を評価する。しかし、その言動がどのような状況の中で引き出されたものなのかも、同時に見ておく必要がある。『ラヴ上等2』の「ご飯抜き」事件は、そのことを強く考えさせる場面だった。ネットで公開されているスピンオフ動画などで、番組内に映らなかったメンバーの一面が見られることが救いである。







