とはいえ、敗走にとどまらず、多くの有力武将も失った惨状を鑑みれば、切腹を命じられず改易で済んだのは幸運といえるかもしれません。大名という立場は失ったものの、命は残ったわけですから。
まさに「命あっての物種」
改易から3年半で大名に復帰
転んでもただでは起きないのが仙石秀久という人物です。秀吉による天下統一の最終段階となった1590(天正18)年の小田原征伐の際に、秀久は舞い戻ってきます。参戦を許された秀久は、陣羽織に鈴を縫い付けた格好で戦の先頭を馬で走り、「鈴鳴り武者」と呼ばれたとの逸話も残っています。
所領を失ってから約3年半後。小田原征伐で武功を挙げ、信濃小諸5万石を与えられます。秀久は見事、大名に復帰をはたしました。
秀久が大改修した小諸城の大手門
讃岐を失い、高野山へ追放されたかと思えば、わずか数年で大名に返り咲く。仙石家はその後、幕末まで大名家として存続します。潔く戦場に散った存保や信親のそれと比べると、秀久の生涯は「なんだかずるい」と思えてしまいます。
でも、それこそが、下克上も寝返りも上等、なんでもありのバトルロワイアルな時代のサバイバル術として正解だった、という見方もできます。「センゴク」秀久こそが、「戦国」武将の象徴たる存在だったのです。
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