歴史上の人物に惹かれる理由は、必ずしも大きな功績を残したからとは限らない。むしろ、「あと少し生きていたら、何を成し遂げていたのか」と想像をかき立てる“未完の人物”ほど、強く心に残ることがある。三国志でいえば司馬師がその一人だ。父・司馬懿から権力を引き継ぎ、司馬氏の天下へあと一歩まで迫りながら、その途中で世を去った。織田信長にも通じる、この「続きを見たかった」という感覚はどこから来るのか。『地図で学ぶ「深読み」世界史』の著者が、司馬師の知られざる魅力を読み解く。

曹操でも諸葛亮でもない…三国志で「続きを見たかった人物」ナンバー1とは?Photo: Adobe Stock

もし司馬師が、あと10年生きていたら?

 歴史上の人物の中で、意外と人を惹きつけるのが「あと少しで何かを成し遂げそうだったのに死んだ人物」である。三国志でいえば、司馬師はまさにその一人だ。

 父の司馬懿が魏の政権基盤を掌握し、その後を継いだ司馬師は、反対勢力の排除を進めながら司馬氏の権力を一段と強くした。ところが、彼自身が新王朝を作るところまでは行かない。権力移行の途中で亡くなり、その仕事は弟の司馬昭へ引き継がれる。

 この「未完」であることが、人物としての魅力を生む。

 歴史上、目的を達成した人物は評価しやすい。勝った、負けた、国を作った、滅ぼしたという結果がはっきりしているからだ。しかし途中で亡くなった人物には、「もし生きていたら」という余白が残る。

 司馬師がさらに十年生きていたら、自ら魏を廃して皇帝になったのか。それとも曹氏の皇帝を残したまま実権だけを握り続けたのか。弟の司馬昭とはどんな関係になったのか。答えがないからこそ想像できる。

織田信長にもある「続きを見たかった」という魅力

 この感覚は、日本史で織田信長に魅力を感じる感覚にも少し似ている。天下統一の直前まで進みながら本能寺の変で倒れたため、「信長が生きていたら日本はどうなったか」という問いが永遠に残る。

 未完の人物は、評価も固定されにくい。長く生きれば失敗を重ねたかもしれないし、もっと大きな成果を上げたかもしれない。司馬師も、後の司馬昭の路線から未来を推測することはできても、本人の最終的な選択は分からない。

 人物を好きになる理由は、功績の大きさだけではない。「この人の続きを見たかった」と思わせることも大きな魅力だ。完成しなかったからこそ、司馬師は今も「もしも」を誘うのである。