そのため、江戸時代の蔵で一年近く寝かせた粉と、現代の環境で冷蔵・密封された粉とでは、「挽きたて」という言葉の意味が根本的に違ってきます。

 そば粉の香気成分は揮発性が高く、挽いてから時間が経つほど香りは弱くなります。この点だけを見れば、挽きたてが有利であることは間違いありません。

 ただし、ここにひとつの落とし穴がある。

「三たて」という言葉は、もともと熟成されたそば粉を前提とした時代背景のなかで語られてきたものだからです。

 それを現代の文脈にそのまま持ち込むと、保存技術や粉の状態の違いを見落としたまま、誤解を広めてしまうおそれがあります。

「熟成」か「劣化」か…
そば粉管理の核心とは

 ここに、そばの香りにまつわる重要な科学があります。

 そばの品質を見分ける指標のひとつに「色」があります。

 白、薄緑、灰色、黒っぽい色――その違いは、品種だけでなく収穫時期や製粉方法の違いを反映しています。なかでも、新鮮で質の良いそば粉はうっすらと緑がかっており、「青いそば」と呼ばれることがあります。

 この緑色は、甘皮に含まれる葉緑素によるものです。

 収穫が早いほど葉緑素は酸化しておらず、色が保たれています。逆に収穫が遅れると酸化が進み、茶色に変わる。リンゴが変色するのと同じ原理です。

 この「酸化」は、そばの風味を左右する重要な要素でもあります。

 そばの実に含まれる脂質は、酵素の働きによって分解され、さらに酸化が進むことで香気成分へと変化します。適度な酸化は香りを引き出し、これを「熟成」と呼びますが、進みすぎると風味は劣化します。

 この見極めが、そば粉の管理の核心です。

 収穫後の乾燥方法も風味に大きく影響します。

 江戸時代、そば粉は蔵で保管され、ゆるやかに酸化が進む環境に置かれていました。熟成によって香りが引き出される一方、時間が経ちすぎた粉は劣化もしていたはずです。そうしたなかで、新しく収穫されたそばのフレッシュさは特別な価値を持っていました。