その直後だった。藤井少年は「うわあああ」と大声を上げ、盤上に覆いかぶさったかと思うと火が点いたように大声で泣きだしたのだ。子どもを相手に指導対局をする経験はそれまでにもあったが、こんな反応を見せられたのは初めてだった。

 この強烈な印象ゆえ、彼が最年少棋士になった際も名前を覚えており、「ああ、あの子か」と思い出したのだ。藤井少年は当時、アマチュア初段以上の棋力があったと思われる。有段者ともなると、プロにも2枚落ちでは簡単には負けないという自負も生まれる。敗北を悟り、そういう自負が打ち砕かれたことで、大泣きにつながったか。あるいは、もう少し対局を続けたかったのかもしれない。

藤井少年は5歳で
祖父を追い越した

 藤井宅は瀬戸市の閑静な住宅街にある。

 私と藤井さんが話をしたのは、彼が初めて祖母から将棋を教わったという広い畳の間だった。日本間がつながる藤井宅の落ち着いた佇まいが、印象深く記憶に残っている。

 どうも祖母から教わった時は、双方ともに将棋のルールを知らず、2人で確認しながら遊んだようだ。彼が5歳の夏のことだ。

 彼はあっという間にルールを覚え、今度は祖父が相手をするようになった。しかし、その祖父も秋には彼に歯が立たなくなり、5歳の12月に藤井さんは瀬戸市にあった「ふみもと子供将棋教室」に通い始める。この文本力雄さんの将棋教室が地元にあったことが、藤井さんにとっては才能を伸ばす大きなきっかけになったと思う。

 こういった将棋教室では、子ども同士を対局させ、勝敗に応じて昇級・昇段を競わせることを主とする所も多いが、文本さんは子ども同士で対局させるだけでなく、定跡を覚えること、詰将棋を解くことを子どもたちに課していた。

 そこで藤井少年は抜群の記憶力を発揮して定跡を丸暗記し、詰将棋も猛スピードで解き、さらなる出題を文本さんに催促するほどだったという。

 まだ5歳なので、棋書を手にしても将棋の駒の名と数字しか読めない。それでも『駒落ち定跡』(所司和晴著)を棋譜記号のみを頼りに読み通し、1年後には内容を完全に理解するようになったという。