見れば、店員と客が畳の上でむきあっている。伝統的な呉服商での慣行が、そのままたもたれていたようである。こういう場に、外国人はべつとして、外履きであがりこむのは、だれしもはばかるだろう。

 20世紀にはいり、この店はデパートメントストア宣言をする。呉服商からは脱却し、百貨店になると表明した。呉服以外の品々も、てびろくあつかう、と。

 その延長線上に、ということなのだろう。1908年には、鉄筋コンクリート3階建ての新店舗をたてている。ただし、屋号は三越呉服店とした。呉服の名は手ばなしていない。なお、同店は創業以来、越後屋を屋号としてきた。三越の名は、三井と越後の頭文字をくみあわせて、できている。

 小説家の近松秋江が、新装なった三越へ、浴衣にヘコ帯といういでたちでおとずれた。ドレスコードをわきまえぬ「小汚い」姿だと、みなされたせいだろう。近松は「下足番」からにらまれたらしい。「正宗君へ」(1908年9月1日付『文壇無駄話』1910年)という文章で、そう書いている。本格的な西洋建築の完成をほこった三越だが、まだ下足番をおいていた。あいかわらず、外履きでの入館をゆるさなかったのである。

三越は西洋建築になっても
外履きを受け入れなかった

 図18-2は、三越呉服店の店内をうつしている。椅子にすわった顧客たちの、テーブルごしに店員らと交渉しあう光景が、うかがえる。欧米的なデパートへ歩みよったことが、図18-1と比較をすれば、読みとれよう。しかし、床は畳のままになっていた。デパートメントストア宣言をしても、外履きはうけいれなかったのである。

図18-2 三越呉服店の店内同書より転載 拡大画像表示

 1914年に、三越はあらためて5階建ての百貨店建築へ、店舗をたてかえた。そして、とうとう下足番を廃止する。外履きのまま入店してもらう店に変貌した。