そう言えば、1914年の三越は店内にエスカレーターも、もうけている(図18-3)。はだしや足袋、あるいは靴下のままだと、あぶなっかしい。エスカレーターを導入した以上、土足客の歓迎にふみきらざるをえなかった。じっさいには、その逆で、土足をうけいれたからエスカレーターも設置できたのだが。

図18-3 エスカレーター同書より転載 拡大画像表示

 ただ、三越が、ずいぶん長いあいだ抵抗しつづけたことは、おぼえておいていい。外履きの客に商品を売るいとなみは、露天商や夜店のそれを想いおこさせた。由緒ある老舗は、店を道端のそれなみにしてしまうふんぎりが、なかなかつかない。三越も、1914年まであらがいつづけたのである。

のちの松坂屋につながる店も
座売りで接客していた

 ねんのため、他店の例も紹介しておこう。図18-4は、20世紀初頭の伊藤呉服店をうつしている。のちの松坂屋につながる店である。そして、ここも座売りで接客をしていたことが、よくわかる。

図18-4 座売式時代の伊藤呉服店同書より転載 拡大画像表示

 勧工場とよばれた店舗集合建築をごぞんじだろうか。1880年代に普及した商業施設である。2階建ての木造建築に、たくさんの店を収容する。そんな建築、そしてあきないの形がひろがった。いっぱんに、百貨店の先駆形態として位置づけられやすい。