図2-2も、入口あたりの屋外へ、てんでに入館者が履き物をぬぎちらかしている。以前は、そういう公共施設も、けっこうあった。
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1933年6月には、松竹ではたらく劇団の少女たちが、ストライキにうってでる。松竹少女歌劇部と松竹楽劇部のレビューガールが、会社に反旗をひるがえした。待遇改善の要求を経営側につきつけたのである。そのさいに、彼女たちがたてこもった施設をうつした写真へ、目をむけたい(図18-11)。入口ふきんへ、外履きの靴などをばらばらにおいている。履き物の整理までは、手がまわらなかったようである。
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ウーマンリブの会場でも
入口には靴があふれていた
さらに、あと一点、1971年にとられた写真をひいておく(図18-12)。この年、8月21日から4日間、ウーマンリブのいわゆる「大合宿」がひらかれた。会場となった長野県飯山市には、300人が参加したという。さらに、土足だとあがれない施設でも、彼女らは集会の場をもった。そういうところでは、写真のように靴があふれかえることとなる。
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『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか』(井上章一、新潮社)
土足厳禁の施設は、下駄箱をもうけないと、履き物が処理しきれない。想定以上の人びとがあつまれば、入口は外履きのあつかいで混乱する。また、小さな施設だと、大きな下駄箱はあつらえにくい。必然的に、公共性のもとめられる場では、土足を許容したほうが入室しやすくなる。靴のあふれる状態を解消しうる。
1914年の三越も、この問題で根をあげたのだろう。店舗を大きくし、商品数をふやせば、いやおうなく来店者の数がふえる。とうぜん、下足番の人員も補充しなければならなくなる。入店者の外履きをあずかる収納スペースも、拡張をしいられる。
もう、これ以上の肥大化はむりだというK点をむかえた時に、三越は下足対策をやめた。下足番の対応を終了し、履き物をあずかる場所もなくしている。これからは、土足のまま店内へあがって下さいという方向に、舵をきったのだと考える。







