図18-5は鈴木華邨がえがいた『日の出島:勧工場』の絵である(『報知新聞』1896年12月2日)。見てのとおり、床は板敷きであった。客は下駄履きのまま、店をひやかしている。その意味で、勧工場は館内の各商店を露天商のようにあつかったと、言ってよい。

図18-5 鈴木華邨挿画 弦斎居士連載『日の出島:勧工場』同書より転載 拡大画像表示

 このやりかたをいやがった百貨店とのあいだには、溝がある。あきないへとりくむ姿勢が、まるでことなる。両者をつなげて考えやすい通説に、私はしたがわない。

神田の映画館の入口には
脱いだ履き物があふれていた

 かつて、東京の神田錦町に、錦輝館という映画館があった。当時のいわゆる、活動写真館である。19世紀末に出現し、関東大震災でついえさった。その様子を、おさないころからかよった吉川速男が、回想的に図示している。

 当人が「拙画」と釈明するその絵を、図18-10に紹介しておこう。「玄関で履物を脱いで板敷の桟橋を踏んで入口に」いたる構えであったという(吉川速男『活動写真のうつし方』1926年)。絵によれば、来館者は入口の右手へ、草履や下駄をぬいでいた。おそらく、下足番が客からうけとった履き物を、そこへならべたのだろう。下駄箱がなかったようで、それらは地面に直接おかれている。

図18-10 吉川速男『東京神田錦町にあった錦輝館 昔の活動写真見物。館の内外』同書より転載 拡大画像表示

 雨がふれば、こまったんじゃないか。下駄はともかく、雨ざらしのこんな場所に靴はおきづらいなと、現代人の私は考える。また、映画を見おわり帰路につく客どうしの、はきちがいにも心配してしまう。