人は、なぜ慣れ親しんだ行動を手放し、新しい行動を選ぶのか。そのカギを握るのが「報酬」だ。PayPayのポイント還元、Tinderのスワイプ、ビットコインの希少性――。一見バラバラに見えるこれらの仕組みには、行動を変える原理が隠されている。『概念シフト』から一部抜粋・編集して紹介する。(ダイヤモンド社書籍編集局)
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新しい行動を促す「報酬」
人は、どのようなきっかけで、慣れ親しんだ行動を手放し、新しい行動をとるようになるのだろうか。その行動によって何が得られるのか、つまり「報酬」は、行動を促す重要な要因の1つである。
ただし、報酬は金銭や割引に限らない。「次は何が出るだろう」という期待感、他者から認められる喜び、仲間とのつながり、自分の成長を実感できることも、行動の動機となる。人々の行動に働きかける「報酬を与える」という事例をいくつか紹介しよう。
実利的報酬
手慣れた行動を手放し、新しい行動を取り入れる難しさを、無料提供や割引などの実利的報酬によって解決しようとした例は豊富に見られる。
とりわけ、日本であまり馴染みのなかった「QRコード決済」という行動を普及させるために、PayPayが行ったのは、大規模ポイント還元というきわめてストレートな方法だった。
スマートフォン決済を行ってもらうために、アプリを入れる、個人情報を入力する、銀行口座と紐づけるなどさまざまな手続き的な障壁がある。既にクレジットや現金、交通系ICで支払える中で、これらを事前に準備してもらうには利便性の訴求だけでは不十分だ。
そこでPayPayは、莫大な現金相当のポイントをばら撒くという実利的メリットで突破した。2018年12月4日に開始した「100億円あげちゃうキャンペーン」は、還元額が上限の100億円相当に達し、キャンペーン開始からわずか10日間で終了した。この10日間の利用者数は190万人を記録したという[※1]。
もちろん、この消耗戦を長期的に維持できるのは、圧倒的な資本を持つ組織に限られるという点も事例として重要な示唆を含んでいる。
変動報酬
試行のたびに報酬が変動する変動報酬は、古くからギャンブルやゲームで実装されているものだ。報酬がたまにしか得られない状況で覚えた行動は、報酬がなくなっても続きやすい。そこには、予想を上回る報酬や、報酬が得られるかどうかの不確実さに反応するドーパミンの働きが関わっている[※2]。
何らかの評価軸さえあれば、何でも変動報酬の対象になりうることは次の事例が示している。例えば、デート相手探しをスマートフォンアプリに落とし込み、見ず知らずの相手をアプリで見つけるという未知の行動を誘導したものが、ティンダー(Tinder)だ。
画面上でデート相手を探す「スワイプ」という操作は、ギャンブルのスロットマシンのレバーを引く行為と同様のものだ。次に表示される写真が好みの相手かどうかは予測できない。何のアイテムが当たるかわからない「ガチャ」はゲームなどで普及しているが、「デート相手」をガチャのような構造にしているものがティンダーといえる[※3]。
損失回避
損失回避とは、利益や機会を失うことを避けようとする傾向である。「1万円を得る」よりも「1万円を失う」ほうが心理的なインパクトが大きいだろう。人は既に持っているものの喪失に強く反応する[※8]。同様に、「今行動しなければ将来得られたはずの機会を逃す」という認識もまた、強い行動の動機となる。
そのため、損失回避は通常、行動の継続、あるいは離脱防止に寄与しやすい。しかし、行動しないことが「将来的な損失」や「機会の喪失」に直結すると認識された場合、人々はリスクを冒してでも未知の行動をとることがある。
暗号資産の一種である「ビットコイン」は損失回避の原理によって普及した側面があるだろう。仕組みが複雑で、価格変動が激しく、通貨といっても何に使えるかよくわからないデジタルデータにお金を投じる行為はかなり抵抗感があるはずだ。
ビットコインは、発行上限が2100万枚に設定されており、「半減期」によって約4年ごとに新規発行量が半減するという仕組みが備わっている。供給量に上限があり、新規供給も段階的に減少していくため、需要が高まるほど価格が上昇しやすいという期待が生まれる。こうした希少性のイメージは、「購入を先延ばしにするほど機会を逃すかもしれない」という認識を強める。その結果、怪しさや難しさという障壁を乗り越えさせ、多くの人々を投資行動へと駆り立てた可能性がある[※4]。
ステータス・承認
社会的地位の向上や他者からの承認といったステータス・承認は、社会的価値の一種であり、行動変容を促す要因である。希少性、招待制、あるいは厳格な承認プロセスを設けることで、ステータス志向の強い層の加入意欲を喚起する製品・サービスは枚挙にいとまがない。
この原理を効果的に活用した例が、1950年に登場した世界初の汎用型チャージカードとされる「ダイナースクラブカード」だ。サービス開始時には、加盟店はニューヨークの少数のレストランに限られ、会員も約200人にすぎなかった。
しかし、初期の会員層はニューヨークのビジネスエリートを中心としており、支払いの際にカードを提示する行為は、単に決済を済ませるだけでなく、信用力のある「クラブの一員」であることを周囲に示すシグナルにもなった。こうした希少性と会員制は、経済的信用や社会的地位の証明となり、カードの魅力と普及を後押ししたという[※5]。
共感・つながり
ステータス・承認と同様に、「皆と同じ体験を共有したい」など、他者との共感・つながりから得られる報酬も社会的価値の一種である。
戦後の日本において「テレビを見る」という行動を国民的習慣に変えたのは、力道山(りきどうざん)などのプロレス中継における「街頭テレビ」だ。当時、高価なテレビは一般家庭にはなく、テレビを見る習慣自体が存在しなかった。
しかし、広場や公園などの公共空間にテレビが設置されると、そこには群衆が押し寄せた。注目試合では、新橋駅西口広場の街頭テレビに2万人もの群衆が殺到し、付近の交通がストップしたという記録がある[※6]。
これだけ人が集まると、多くの人は画面を見ることさえできない。他者と同じ空間で同じ感情を共有する体験が、テレビという新しいテクノロジーへの心理的障壁を下げ、まったく新しいメディア装置への接触行動を動機づけたと考えられる。
成長感・達成感
人は、みずからの能力向上や課題の克服を実感する際にも喜びを感じる[※7]。これが成長感・達成感であり、認識的価値の一種だ。努力の成果が実感できない状況はいわば「ゴールのないマラソン」を走るようなものだ。しかし、スキルの習得や自己成長のプロセスは緩やかなことも多く、その自覚は容易ではない。
そこで、長期的で抽象的なゴールを分割し、到達度を客観化することは成長感・達成感を実感しやすくなる。現代のゲームや学習アプリで定着している「レベル上げ」や「バッジ」といった機能は、この原理を行動継続に応用したものだ。
この原理を応用した例は、囲碁や将棋の段位制をヒントとして、講道館柔道で導入された「段級位制」だ。それまでの武術にも「切紙(きりがみ)」「目録」「免許皆伝」などの段階はあったが、細かく区切られた到達度の可視化という点では限定的であった[※8]。段級位で実力を可視化し、段階的な目標を設定させるシステムは、門下生のモチベーションを高める原動力となったと考えられる。
ここまでの説明から、未知の行動を促す報酬設計のポイントは、その行動に伴う報酬、共感、成長実感について、人々が重要視しているにもかかわらず未だ対価が設定されていないものを報酬化し、成長の度合いが可視化されていない部分を可視化することである。
注1 日経クロストレンド(2019)「PayPay100億円還元策の舞台裏 『景表法の限界』に挑め」 https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00159/00003/(2026年2月3日閲覧)。
注2 Humphreys, L. G. (1939). The effect of random alternation of reinforcement on the acquisition and extinction of conditioned eyelid reactions. Journal of Experimental Psychology, 25(2), 141-158. Hochman, G., & Erev, I. (2013). The partial-reinforcement extinction effect and the contingent-sampling hypothesis. Psychonomic Bulletin & Review, 20(6), 1336-1342. Schultz, W., Dayan, P., & Montague, P. R. (1997). A neural substrate of prediction and reward. Science, 275(5306), 1593-1599.
注3 Thomas, M. F., Binder, A., Stevic, A., & Matthes, J.(2023). 99+ matches but a spark ain’t one: Adverse psychological effects of excessive swiping on dating apps. Telematics and Informatics, 78, 101949.
注4 Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under risk. Econometrica, 47(2), 263-292.
注5 Kaur, M., Jain, J., & Sood, K. (2024). “All are investing in Crypto, I fear of being missed out”: Examining the influence of herding, loss aversion, and overconfidence in the cryptocurrency market with the mediating effect of FOMO. Quality & Quantity, 58(3), 2237-2263. 注10 Mandell, L. (1990). The credit card industry: A history. Twayne Publishers. Swartz, L. (2014). Gendered transactions: Identity and payment at midcentury. Women’s Studies Quarterly, 42(1/2), 137-153.
注6 東京新聞(2024)「力道山×生中継70年 テレビの未来を拓いたプロレス」(2026年2月3日閲覧)。
注7 Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. American Psychologist, 55(1), 68-78.
注8 辻原謙太郎・竹田隆一(1985)「柔道における段位制度について(その1)―CONFEDERACAO BRASILEIRA DE JUDOを中心に―」『武道学研究』18(2), 85-86。







