「じゃあ、夜だけオシメをしたらどうですか。今は性能のいいものがありますから、5回くらいの排尿でも取り替えなくて大丈夫です」
「オシメもイヤやねん。まだ若いのに、そんな年寄りみたいなこと、したくないねん」
眉間に皺を寄せ、半泣きの表情で訴える。
それ以上言えずに困っていると、横から夫がきつい声をかける。
「病気やねんから仕方ないやろ。管でもオシメでも使うたらええやないか」
「アンタにわたしの気持ちなんかわからへん。それでも無理にせいと言うなら、死んでしまいたい」
「そんなら死ね」
「ああ、死ぬよ。さっさと殺せ!」
「自分で死ね!」
「自分で死なれへんから言うてるのや。さあ、殺せ!」
このときはさすがに放置することができず、担当のケアマネージャーを呼んで、善後策を協議した。
結局、施設入所しかないということになったが、介護殺人の1歩手前までいったケースだった。
「自由と安全」「尊厳と効率」
介護には二律背反がひそんでいる
高齢者の介護には、さまざまな二律背反がひそんでいる。する側とされる側の状況や心理に大きな隔たりがあるからだ。
良好な介護を実現するためには、なんとかそれを乗り越えなければならない。
まずは、自由と安全の二律背反。
足もとの危うい高齢者が、外出したいと思っても、家族に「危ないからやめて」と言われる。
お酒を飲みたい、煙草を吸いたいという要求も、健康によくないと許してもらえない。杖なしで歩こうとしても、こけると危ないからと、杖を押しつけられたりする。シルバーカーを使ったほうがいいとか、そろそろ車椅子を使ったらと言われたりもする。
家族は高齢者のためを思って安全を優先しようとするが、高齢者は自由を制限されるので、不愉快になり、介護の状況が悪くなる。
次は、尊厳と効率の二律背反。
食事でも着替えでも移動でも、高齢者は自分でできることは自分でしたい。それが「わたしはまだ大丈夫」という高齢者の尊厳になる。
ところが、高齢者の動きは時間がかかるし、危険を伴うことも多いので、介護者は手を貸してさっさと終わらせたい。そのほうが効率もいいし安全だから。







