私の母は家の中に他人が入ることを嫌い、ヘルパーに来てもらうことにずいぶん抵抗があった。

 しかし、体力的に風呂掃除や粗大ゴミの処理など、自分でできないことが増えてきて、仕方なくヘルパーを受け入れた。

 幸い、いい人が来てくれたので喜んでいたが、プライバシーを守ることと、ヘルパーに来てもらうことは二律背反になる。

治療や自立支援にも
介護の二律背反はつきまとう

 高齢者は病気の治療についても、二律背反に陥ることがある。

 もう病院に行きたくないとか、つらい治療はしたくない、面倒な検査もイヤだ、長い待ち時間も耐えられないと思いながら、病気は治したい、まだ死にたくない、痛みやつらい症状は取り除いてほしいと願う。

 終末期を迎えたときも、本人はもう治療はいらないと思うけれど、家族は治療を受けてほしいと望むことがある。

 本人の思いを優先すれば、家族は悲しい思いや焦れったさを感じ、家族の思いを優先すれば、高齢者が苦しい目に遭う。

 高齢者介護では、「優しさが自立を奪う」という言葉がある。優しい介護で何でもかんでも介助すると、高齢者は筋力が衰え、機能を失って自立できなくなるという意味だ。

 逆に、自立支援はできるだけ何でも自分でするように仕向けるので、負担が増え、高齢者には厳しい介護になってしまう。優しい介護で自立支援は二律背反ということだ。

 介護施設やデイサービスなどでは、高齢者は平等な介護をしてほしいと望みながら、個々の希望に沿った介護をしてほしいとも願う。これも両立はむずかしい。

『欲張らない死に方 賢く老いるヒント』書影『欲張らない死に方 賢く老いるヒント』(久坂部 羊、筑摩書房)

 ヘルパーも利用者の希望に沿った介護をしてあげたいと思いつつ、規則は守らなければならないと思っている。これも利用者が無理な要望を持ち出すと、二律背反になる。

 親や祖父母を介護している家族は、介護から解放されたいと願いながら、親や祖父母に快適に暮らしてほしいと望んでいたりする。

 つらい介護をやめたいと思いながら、親子の縁や祖父母とのつながりは維持したいと考える。

 高齢者の介護では、介護する側とされる側の欲望にズレが生じる。

 高齢者の側は自由と尊厳を守りたいと望むが、介護する側は安全と効率のため管理したいと思うからだ。

 つまり、両者は対立関係にあるということで、その関係が悪化すると、虐待という悲劇が発生する。