排泄は尊厳に大きく関わるから、できるだけふつうのトイレですませたい。

 それをポータブルトイレにされるとか、さらには尿もれパッドを使わされる、トレーニングパンツをはかされる、最後はオシメをつけさせられると、多くの人は尊厳を傷つけられる。

 しかし、介護者からすれば、最近のオシメは快適だし、トイレ介助の手間もなくなるから、よいことだらけではないかと思う。

 入浴介助も、同性の介護者にお願いしたいという高齢者も少なくない。異性に裸を見られるのは尊厳に関わる。応じられる場合はいいが、そうでない場合は受け入れてもらうしかない。

 高齢者には、自分でできることはさせたほうが、機能低下を防ぐ意味でも重要だが、元気な介護者から見ると、スローテンポで不器用で危なっかしく、じっと見守ることがかなりのストレスになる。

介護する側とされる側の希望は
なぜすれ違ってしまうのか

 依存と拒絶の二律背反もある。

 介護してもらうことに味をしめると、高齢者は依存的になって、あれもこれもしてほしいと求めだす。

 しかし、当然、無制限には応じられない。介護者はよりよい介護を目指すけれど、高齢者が依存しすぎると、介護者は依頼や要求を断らざるを得なくなり、高齢者は不愉快になって、介護状況が悪化する。

 高齢者は精神面で介護者に遠慮し、あまり世話をかけてはいけないと思いながら、一方では行き届いた介護をしてほしいというアンビバレントな心理になったりする。

 すると、遠慮しているのに、なぜ要求に応じてくれないと、高齢者は不愉快になる。介護者は介護者で、世話をかけたくないと思っているなら、もう少し遠慮しろよと、不機嫌になり、介護の雰囲気が悪化する。

 最後まで自宅で暮らしたいという高齢者の思いと、家では十分な介護ができないので、施設に入ってほしいと願う家族の思いも二律背反だ。

 高齢者の思いを優先すると、家族の負担が増え、家族の思いを優先すると、高齢者の望みが断たれる。