多くの人は、「他人に望まれるように」生きてきたと言います。「自分らしく生きればよかった」との後悔が最も多いのです。
会社人間として生きてきた私たちにとって、これは特に重い言葉です。会社の期待に応え、上司の評価を気にし、組織の論理に従って生きてきた。それは決して間違いではありません。しかし、その中で「自分らしさ」を見失っていなかっただろうか。そう問われているのです。
第2の後悔は、「あんなに一生懸命働かなくてもよかった」というものです。
これは、特に男性に多い後悔だと言われています。仕事に全力を注ぎ、家族との時間を犠牲にしてきた。そのことへの後悔です。
「もっと子どもと遊べばよかった」「もっと妻の話を聞けばよかった」。そうした言葉の背景には、「仕事のために家族を犠牲にした」という痛切な思いがあります。
第3の後悔は、「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった」というものです。世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、可もなく不可もなく終わってしまったことの無念さです。
組織の中では、自分の本当の気持ちを抑えることが求められます。反対意見があっても、空気を読んで黙る。不満があっても、波風を立てないよう我慢する。しかし、そうして感情を殺し続けた結果、人生そのものが色褪せてしまったと感じる。それが、この後悔の本質です。
第4の後悔は、「友人関係を続けていればよかった」というものです。
仕事が忙しく、古い友人との関係を疎かにしてきた。そのことへの後悔です。人生の最期になって、本当に大切だったのは仕事上の付き合いではなく、損得抜きで付き合える友人だったと気づくのです。
第5の後悔は、「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」というものです。
幸福は自分で選ぶものだと気づいていない人がとても多い。変化を無意識に恐れ、「選択」を避けていないか。
臨終の場での後悔の多くは
「やらなかったこと」から生まれる
ブロニー・ウェアの5つの後悔も、私が立ち会ってきた臨終の場で聞いた言葉も、そこには1つの共通点があります。
それは、後悔のほとんどが「やったこと」ではなく、「やらなかったこと」から生まれているという事実です。そして、その中でも特に大きいのが、「言わなかったこと」への後悔なのです。
感謝の言葉を伝えなかった。
愛していると言えなかった。
本当の気持ちを口にできなかった。
謝りたかったのに、謝れなかった。
こうした「言わなかったこと」が、人生最大の後悔として残るのです。
『定年で終わる人、終わらない人 豊かに生きるための5つの智慧』(安永雄彦、講談社)
なぜ、私たちは大切なことを言葉にできないのでしょうか。1つには、「照れくささ」があります。長年一緒に暮らしてきた家族に対して、今さら「ありがとう」とか「愛している」とか、そんな言葉は恥ずかしくて口にできない。そう感じる方は多いでしょう。
2つ目には、「言わなくても分かっているだろう」という思い込みです。毎日家族のために働いている。それで十分伝わっているはずだ。わざわざ言葉にする必要はない。そう考えてしまうのです。
3つ目には、「タイミングを逃す」ことがあります。「いつか言おう」と思いながら、適切な機会が来ないまま時間が過ぎていく。そして気づいたときには、もう言えない状況になっているのです。
しかし、人間関係のコミュニケーションは、言葉にしなければ、伝わりません。どれほど心の中で思っていても、それを口にしない限り、相手には届かないのです。







