例えば、1個当たり2.5円の紙コップ代を浮かせるためにマイボトルを持ち込む。アナウンスを杓子定規なものではなく自らの言葉で語るなど、乗客に対してホスピタリティを発揮する――。
倒産する前はこのような行動をしなかったパイロットたちが、稲盛氏と膝詰めで議論するようになって、自ら変わるようになったという。
こうした再建時のエピソードを見聞きするほど、現在のJAL経営陣と運航本部との関係が、気がかりだ。鳥取社長が「経営陣でも意見を言うのが難しい」と明かした点は、稲盛氏が目指した組織風土と、大きなギャップを感じさせる。
近年の繰り返される飲酒トラブルは、記事前編で紹介した「社員がおごれば昔のJALにもどるかもしれない」という、まさに稲盛氏が退任時に懸念したことの象徴ではないだろうか。
稲盛氏と「酒」の付き合い方
焼酎はエナジードリンク?
ところで、稲盛氏は酒に対してどんな考えを持っていたのだろうか。
実は、稲盛氏は酒好きで何でも飲む口だった。鹿児島出身者らしく特に焼酎を好んだ。
第二次大戦で困窮した稲盛家は、疎開先の床下を掘り、焼酎製造を始めた。生きるためのやむを得ない策であり、稲盛氏は13歳で米麴を買い付け、アルコール濃度を正確に計り、品質の良い焼酎の製品化や販売を手伝っていたという。※2
また、稲盛氏が起こした京セラでは、焼酎は「全員参加経営」をもたらすエナジードリンクだったとか。※2
稲盛氏が開催する盛和塾では、焼酎醸造業の塾生が割拠し、その生産量を合算すると日本の焼酎生産量の6割を占めていた――と信じられないエピソードもあるなど、稲盛氏と焼酎に関する逸話は事欠かない。 ※2
ただし、稲盛氏は酒の飲み方にはかなり気を配っていた。ある週刊誌のインタビューでは、京セラ創業時の出資者から、酒の飲み方を教わったと語っている。※3
《飲むなら、値段が高くても、お金がかかっても、一流のレベルの人が来る場所で、一流の人と飲まなくてはいけないと教わりました。そうでないと、一流にはなれないと。もちろん、この教えは経営者としてのお酒の飲み方ですが。》※3







