日本政府は2001年に、21世紀前半(今後50年間)の目標として「50年間にノーベル賞受賞者を30人程度輩出する」という数値目標を掲げた。

 これに対して、中国では、当初は懐疑的な見方が主流であった。メディアや世論では、この目標は「大言壮語」「夢物語」と捉えていた。

 今回の硤合さんの受賞により、2001年以降の日本人研究者のノーベル賞受賞者は、米国籍を取得した日本出身者も含めて22人となった。しかも、そのすべてが物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の自然科学系3賞である。

 つまり、50年間の折り返しとなる25年余りで、すでに目標の7割以上に達したことになる。目標達成まで残り8人。日本が積み重ねてきた科学研究の成果が、着実にノーベル賞という形で評価されているのだ。

 一方、1957年~2015年の間に、中国本土に在住・所属して受賞した人物としては、劉暁波氏、莫言氏、屠呦呦氏ら3名の受賞にとどまる。

 中国は改革開放以来、目覚ましい経済成長を遂げてきた。2010年には名目GDPで日本を抜き、世界第2位の経済大国となった。

 近年は電気自動車や再生可能エネルギー、人工知能(AI)、ロボットなどの分野でも急速に存在感を高め、科学論文や特許の件数でも世界トップクラスに達している。

 こんな「強い国」なのに、「今年もノーベル受賞者が一人もいない」と落胆する中国人が少なくない。

 かつて2010年代の中国では、「日本のノーベル賞受賞ラッシュは過去の高度成長期の蓄積によるもので、経済が停滞する日本はいずれ世界に取り残される」「これからは中国の時代だ」といった強気な意見が広がっていた。​

 2013年には、中国のある著名な院士(中国科学院などの最高位の学術称号を持つ研究者)が「10年後、中国ではノーベル賞の受賞が日常茶飯事になるだろう」と公言し、大きな話題となった。

 当時は中国経済が好調で、研究開発投資も急増しており、科学技術の将来に対する楽観論が広がっていた。​

 しかし、コロナ禍を経て中国経済の低迷が長引いている。

 そして、政治や社会環境も大きく変わった。近年中国の大学では、中学や高校と同様に、学生の思想を管理する担任が配置されている。

 そして、授業の内容に対しても監視が強化された。

 大学で教える筆者の友人は「授業や黒板に書いている内容はすべてモニターセンターにつながり、教科書以外のことはもう話せない」と嘆く。

 大学における教育の自由が大きく制限されていて、独創的な発想が生まれにくい。