天才たちが延々と議論していたこと

シアトルに来たばかりのころ、ぼくがいちばん驚いたのはここだった。会議室に集まるのは、アメリカのテック業界の第一線で10年以上活躍してきた天才エンジニアやプロダクト・マネージャーたち。てっきり「どうやって速くつくるか」を議論しているのかと思いきや、ぜんぜん違った。彼らが延々と議論していたのは「この仕事のリターンは、どこまで深く・広くなるか」、つまりスケールするかどうかだった。

頭のいい人ほど、手を動かす前にこの問いに時間をかける。「目の前の仕事を速くこなすこと」に力を入れてきたぼくには、その光景が衝撃だった。彼らは努力の量ではなく、努力の使い方が根本から違ったのだ。

一つのプロダクトが、用途も国境も越えていく

この考え方を突き詰めた最たる例が、テック業界のプロダクトそのものだ。スマートフォンは一度つくれば、カメラにも財布にも地図にもなり、言語や国境を越えて何十億人の手元で動く。SNSでは、一つの投稿が寝ている間に何百万人へ届く。AIに至っては、一つのモデルが法律の相談から料理のレシピ、プログラミングまで、あらゆる用途と言語で同時に働いてくれる。

つくる手間は1回。でも成果は、用途と国をまたいで際限なく広がっていく。テック業界が世界中の才能とお金を吸い寄せてきた理由は、まさにこの構造にある。

普通の仕事でも「スケールする働き方」はできる

「そうは言っても、そんなすごいプロダクトをつくる仕事じゃないし」という声が聞こえてきそうだ。でも、スケールはプロダクトだけの話ではない。働き方の話でもある。

マクドナルドを世界に広げたレイ・クロックは、ハンバーガーを発明していない。彼が磨き上げたのは、誰がつくっても同じ味と速さになる「仕組み」のほうだ。世界中どこの店でも同じポテトが出てくるのは、天才シェフの職人芸ではなく、仕組みの勝利だ。

これを普通の職場に置き換えてみよう。毎日届く似たような問い合わせに一件ずつ丁寧に返信するのではなく、よくある質問をまとめたドキュメントを一つつくって共有する。自分にしかできない作業は手順書にして、誰でも回せるようにする。何度も使う資料はテンプレートにしておく。どれも地味だ。でも一度つくれば何度でも使われて、自分がいなくても成果を生みつづける。これらは立派な「スケールする働き方」だ。

あえて「スケールしないこと」をやる

ちなみに、シリコンバレーにはこんな有名な言葉もある。“Do things that don't scale.”(スケールしないことをやれ)。名門スタートアップ養成機関Yコンビネーターの創業者、ポール・グレアムが起業家たちに説いたアドバイスだ。

「え、真逆じゃん」と思うかもしれない。ぼくも最初はそう思った。でも中身を読むと、これは「初期はあえて手作業で顧客一人ひとりと向き合え。そこではじめて、何をスケールさせるべきかが見えてくる」という話。つまり、スケールへの執着の裏返しなのだ。一流は「今はスケールさせない」ことすら、意図して選んでいる。

はしごを登る前に

ところで、ふと気になって「スケール」の語源を調べてみたことがある。英語のscaleはラテン語のscala、つまり「はしご」からきているらしい。なるほど、と思った。シアトルで飛び交うこの言葉は、たしかに「はしご」の話だ。ただし、自分の足で一段ずつ登っていく話ではない。一度はしごを架けてしまえば、あとは何百人もの人がそれを使って登っていける。そんな話だ。一段ずつ登る努力は自分一人分の高さにしかならない。でも架けたはしごは、自分の手を離れたあとも人を運びつづける。

明日、新しい仕事に手をつける前に、一度だけ自分に問いかけてみてほしい。「その仕事、スケールするの?」。答えがノーでも、落ち込むことはない。スケールしないと気づけた時点で、働き方は変わりはじめている。一段ずつ登る前に、みんなが登れるはしごを架ける。世界一流が毎日やっているのは、たったそれだけのことだ。