ダイヤモンド社刊
1890円

「平坦な大地にも、高みに上り谷へと下りる峠がある。そのほとんどは単なる地形の変化であって、気候や言葉や生活様式が変わることはない。しかし、なかにはそうでない峠がある。本当の境界がある。とくに高くなるわけでも目を引くわけでもない。たとえばブレンネル峠は、アルプスのなかでももっとも低くもっとも緩やかだが、古より地中海文化と北欧文化を分けてきた。そして、歴史にも境界がある」(『イノベーターの条件』)

 ドラッカーとは、現代社会最高の哲人であり、マネジメントの父である。その現代社会の哲人としてのドラッカーの重要論文を編纂したものが、本書『イノベーターの条件』であり、そのなかで抜きんでて重要なものが、この「歴史にも境界がある」に始まる論文である。初出は、現実が変わったことを宣言した20年前の名著『新しい現実』だった。

 ドラッカーは、「歴史にも境界がある。その時点では気づかれることもない。だがひとたび超えてしまえば、社会的な風景や政治的な風景が変わり、気候が変わる。言葉も変わる。新しい現実が始まる」といった。

 今回の峠は、1965年頃に始まり、2030年頃まで続く。その間、あらゆる風景が変わる。しかし、それらのうち最も重要で根源的な変化は何か。それが、何事にも正しい答えとしての万能薬があり、人はそれを手に入れることができるはずとの、デカルト以来のモダンの信条が誤りであることが認識されることである。

 これだけ政治、社会、経済が混迷してくると、頭の中も混迷してくる。しかしそれは、何事にも正しい答えがあり、その答えは明らかにすることができるとの観念に縛られているからである。

 答えはある。しかし、簡単にとらえることはできない。したがって、われわれがなすべきことは、理想を求めつつも、手持ちの道具を使って、一歩一歩前進していくことだけである。万能薬があるはずとの信条は、いわば美しい夢だった。夢なら目を覚まして、働かなければならない。

「今や、われわれは政治に関して、ちょうど1700年ころに近代医学が登場した時と同じ状況にある。当時ようやく、医学は万能薬の追求をやめ、具体的な個々の病気それぞれに効く治療を追求し始めた」(『イノベーターの条件』)