尖閣諸島(中国名・釣魚島)領有問題をめぐる日中の対立が激化してから、ちょうど1年間経った。昨年の9月初めに発売された月刊誌「世界」に、私が「『中日関係』という建築物に耐震工事を」という論考を寄稿した。その中で、日中関係をビルに譬えて表現した。

形に流れがちだった両国の交流

 中日国交正常化の実現にこぎ着けた1972年は、当時の「建築基準」に基づいて、「中日関係ビル」を竣工させた。しかし、今の視点から見て、その構造が政治的、または経済的、社会的地震に果たして耐えられるのかと聞かれたとき、耐えられると即答できる自信は私にはない。特に政治的地震の多発時代の到来を予想していなかったため、その耐震力に疑問を抱かざるを得ないところがある。

 築年数が40年以上となった中日関係というビルは、現にこれまでの何度もの政治的な嵐と地震に震撼させられ、壁のひび割れや基礎の動揺などの現象がかなり見られた。「中日関係ビル」の安全性を脅かすこうした問題を取り除くために、耐震構造の追加工事や修繕工事を行わなければならない。

 その「工事」内容のひとつとして、観光などを含む人的交流の強化を強調した。これまで人的交流の強化を目指すプロジェクトなどはないわけではないが、形に流れてしまい、あまり効果が表れていないのでは、と思う。

 たとえば、中国と日本との間に、友好都市、友好省県関係を結んだケースがたくさんある。都道府県レベルのものと市区町村レベルのものを数えてみると、350に近い自治体が中国側の自治体と友好都市関係を結んでいることが分かる。しかし、政治的地震や津波が来ると、耐震効果が出てこないし、防波堤的役割も果たしていない。

運営資金も人々が寄付

 中日関係ビルを守るためには、新しい発想と方法が必要だ。日中間を逆風が吹き荒む一年間だったが、多くの人々はただ手をこまねいて、嵐が過ぎ去るのをひたすら待っている態度を取らずに、むしろ中日関係ビルを守るための新しい発想や方法を積極的に模索している。