発端は鳩山首相の口先

 民主党政権が来年度予算に於ける新発国債の上限に「44兆円」の目標を設けるか否かで迷走している。筆者なりに要約してみよう。

 藤井財務大臣はかたくなに44兆円の上限を守ることを主張している。現在もその考え方は変わっていまい。首相の指示に渋々従うことはあっても、自説の誤りを認めるつもりはなさそうだ。

 対して、鳩山首相は「44兆円」は明記すべきだが、これを守れなくてもいい「努力目標」とするよう指示した。鳩山首相のスポークスマンである平野官房長官は当初、数値目標を入れた基本方針が首相の意思だと言っていたが、その後、「努力目標だけれども数値明記」が首相の真意だったと前言を撤回した。相変わらず存在感の薄い菅直人副総理兼国家戦略担当相は「一種の努力目標はきちんと表現するように(鳩山首相から)指示があった」と首相の指示を確認した。

 他方、亀井金融担当相は、「44兆円」に直接言及している訳ではないが、「来年度当初予算で95兆円を下回る予算を組めば、麻生時代よりも経済が悪くなる」と言い放ち、国債の上限に拘ることからして愚かだと言わんばかりの怪気炎を上げている。

 毎度のことながら閣僚の発言がばらばらだが、この件に関しては、大筋として認識が正しいのは亀井大臣だろう。現在の景気は回復したとはいえ、経済の状況は相当に悪い。しかも、現状までの回復には前政権の経済対策の効果が含まれている。政治的にも参院選を来年に控えて景気を悪化させることは拙い。金融モラトリアム法案、斎藤次郎氏の日本郵政社長人事など、よく考えると賛成は出来ないが、妙に政治的なツボを押さえた政策を出している。今回の大型財政出動の主張も、亀井氏の主張に全面的に従うとお金の行き先に大いに不安があるが、経済対策の必要性を主張することは時宜にかなっている。目下、亀井氏の政治的な勘は冴えているといっていいだろう(注:発言に全面的に賛成ではないが)。