2013年は、野村克也氏が手塩にかけて育てた選手が相次いで引退を表明した1年でもあった。
『野生の教育論』を刊行したばかりの野村氏に、宮本慎也、山﨑武司、桧山進次郎、石井一久、稲葉篤紀ら、40歳を超えてもプレーし続ける秘訣、共通点について語ってもらった。

今年引退した教え子たちの共通点とは?

野村克也(のむら・かつや) 1935年京都府生まれ。テスト生として南海に入団。1965年、戦後初の3冠王。首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、MVP5回を獲得。35歳で選手兼任監督となり、8年間でAクラス6回、1973年リーグ優勝。ロッテ、西武でプレーし45歳で引退。「野村スコープ」で話題となった9年間の解説者生活を経て、1990年からヤクルト監督。弱小球団の選手たちに闘争心と人間教育を中心とした教養を植えつけ、リーグ優勝4回、日本一3回へ導く。阪神、社会人・シダックス監督を経て、2006年から楽天監督。田中将大を1年目から11勝&新人王に育てる。2009年、球団初のクライマックスシリーズに進出。宮本慎也、稲葉篤紀ら多くのWBC日本代表を育てた。現在、日本体育大学客員教授。(撮影:荒川雅臣)

 2013年限りで、宮本慎也、山﨑武司、桧山進次郎、石井一久という私の教え子たちが揃って現役を退いた。

 いずれも40歳を超えるまでプレーしての引退。最年長の山﨑にいたっては45歳である。

 宮本とともに昨年2000本安打を達成し、42歳となる来季も現役続行予定の稲葉篤紀も含めて、彼らがこれほど長く現役を続けられた理由として、ひとつ指摘しておきたいことがある。それは、

「感謝の心」である。

 彼らはそれを忘れなかったからこそ、あれほど長く現役を続けられたのだと私は思っている。

 たとえば、稲葉篤紀だが、彼をドラフトで指名するようヤクルト球団に要請したのは、この私であった。

 たまたま神宮球場に息子の克則(当時明治大学)の試合を見に行くと、当時法政大学にいた稲葉が2本もホームランを打ったのが理由だった。