
漫画『アンパンマン』の
生みの親であるやなせたかし
江戸時代に高知は、土佐藩20万2000石が領する雄藩だった。高知県立高知追手前高校は、その高知城のすぐ東側の追手筋にある。全国各地の県庁所在地に設置された「県立一中」伝統校の高知県版だ。
子どもたちに絶大な人気となった漫画『アンパンマン』の生みの親であるやなせたかし。『手のひらを太陽に』の作詞も手がけるなど、漫画にとどまらず作詞家、イラストレーター、コピーライター、絵本作家、舞台芸術家…など、昭和から平成にかけ幅広い分野で活躍した。「マルチクリエーター」と表現できるだろう。長らく、日本漫画家協会理事長を務めた。
25年度上半期放送のNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)『あんぱん』は、やなせ夫婦をモデルにしている。
やなせは、4歳の時から高知県で育ち、2013年に94歳で永眠した。高知県立高知追手前高校の前身である旧制県立高知城東中学校の卒業生だ。中学時代から絵に関心を抱いて、旧制国立東京高等工芸学校図案科(現千葉大工学部総合工学科デザインコース)に進学し卒業した。
戦後に三越宣伝部でグラフィックデザイナーとして活動する傍ら、漫画を描き始めた。ただ、プロの漫画家としての本格的なスタートは遅かった。シリーズ1冊目となる絵本『あんぱんまん』が刊行されたのは、1973年、54歳の時だった。おなかをすかせている人がいれば、アンパンでできた顔をちぎって差し出す、自己犠牲のヒーローを生み出したのだ。
やなせは、母校のイメージキャラクターもデザインしている。校名にちなんだ『追手前OO(おお)くん』と、校樹のイチョウにちなんだ『ギンコちゃん』だ。
将来を嘱望された弟・千尋も高知城東中学で学んだ。旧制中学は5年制だったが、成績優秀者は卒業を待たずに4年で「飛び級」によって上級学校に進学できる「四修」制があり、千尋はその対象者だった。京都帝大に進学したものの学徒出陣し、22歳の若さで命を散らしていた。やなせの作品には「反戦」思想が込められているが、弟の戦死が大きく影響したようだ。