「残業は当たり前」「親の死に目に会えると思うな」 いまだ職場で幅を利かす“20世紀型”サラリーマンの仕事観 若手新二くんがいる職場は別名「昭和課」と呼ばれている。昭和入社の中高年層が多いからだ。昭和課の名物はズバリ、残業。定時で帰る社員はひとりもいない。一度、若手クンが帰ろうとしたところ、

 「みんな頑張っているのがわからないのか。自分の仕事が終わっても『何かお手伝いしましょうか』とか、積極的に声をかけて手足を動かしなさい。若いうちはそうやって勉強するものだ!」

と上司に叱られてしまった。

 どうやら、上司たちは奥さんや子どもたちにうとまれているらしく、よく「家にはオレの居場所なんてないんだよ」とボヤいている。彼らの残業の理由がそのへんにあるとすれば、つきあいで居残りさせられるこちらはたまったものではない。

 学生時代の友人に打ち明けたところ、「何それ? うちの会社は残業規制で、なるべく定時に帰れってうるさいけどな」とのこと。時代の最先端企業に入社したはずだったのに、じつはそうではなかったことに今さら愕然とする若手クンだった――。

「麻酔系ホルモン」
が男たちを働かせた時代

 日本の職場はかなりマッチョな仕事倫理観に支えられている。そもそも男性脳は「バリバリ働く脳」。その脳を駆使して、日本人は競争に勝ち抜いてきたからだ。

 「成功したい」「競争に勝ち抜きたい」という気持ちは、男性ホルモンのテストステロンが引き起こすもの。その欲望を達成するためなら、多少の痛みにも耐えることができる。実際、皮膚電気反応テストをしてみると、男性の皮膚は女性の10分の1しか痛みを感じないそうだ。つまり、これらのホルモンはいわば麻酔薬の役目を果たしているのだろう。

 だからこそかつてのサラリーマンたちは、疲れも不調もなんのその、過重労働に耐えたのである。ほんとうは心身ともに悲鳴をあげていたのかもしれないのだが、それだけ「麻酔系ホルモン」の力は強烈だったにちがいない。

 思い出すのがバブル期、「24時間戦えますか」のキャッチコピーで、一躍ヒット商品となったのが旧・三共の「リゲイン」。さっそうとスーツに身を固め、世界中を飛び回る自分たちの姿に、あの頃は誰もが酔いしれていた。努力すればその分大きな成功を手にできる、と信じていたのだ。

残業時間は
バブル期直後より増加!?

 しかし「麻酔効果」はいつまでも続かない。頑張ったところで、成功の確率は低い現実がやがて明らかになってきたからだ。