なぜ、日本人は日本の大学ばかりを否定するのか?
さらに、日本で特集される欧米の大学の報道は、なぜか英語圏の大学ばかりです。取材がしやすいということもあるのかもしれませんが、非英語圏の大学に関して取り上げられることは、それほどありません。もしあるとしても、中国や韓国などといった、近隣国の大学ぐらいでしょう。
国際的なカンファレンスに参加すると、非英語圏の大学から多くの研究者がやって来ています。
彼らと交流するたびに、日本の多くの大学が抱えているのと同じ課題を抱えているのがわかります。どのように大学の国際化を推進すればいいのか、大学ランキングを引き上げるためにはどうすればいいのか……まるで、どこかで聞いたような悩みを数多く耳にするのです。
とくにヨーロッパの大学では、たとえば英語で論文を書くか、母語で論文を書くかという悩みを抱えています。アメリカのトップジャーナルに掲載したいが、そこで議論されている内容が母国の現状にはまったく合っていないと感じているという声があります(ただし、これは社会科学の領域での話です)。
また、教員の質についての議論もよく聞きます。私がお目にかかるのは、比較的「意識の高い」教員のため、彼らの母国にいるような、英語を話せない、研究をしない、教育に熱心ではない教員の愚痴はしょっちゅうです。
組織に、実力の劣るスタッフが一定数いることは、大学組織に限ったことだけではなく、普通一般の組織と変わらないとも言えるはずです。それは、大学でも一般企業でも、日本でも欧米でもそうなのでしょう。
世界に1万以上の高等教育機関が存在するとするならば、感覚的には、6~8割の高等教育機関が、日本の大学が語られるときと同じような課題を抱えているように思えます。たとえば、ドイツが行っているExcellence Initiativeは、日本のグローバル30(国際化拠点支援事業)やスーパーグローバル大学創成支援制度と、とてもよく似た目的意識を感じる取り組みです。
私たち日本人は謙虚なため、何かと「日本はダメだ、遅れている。大学の質が低下している」とまくし立てます。しかし、そこで主張されている事実の大半は、けっして日本だけに限らず、全世界の大学が抱える課題だと思います。
果たして、冷静に、公平に考えたときに、日本の大学教育はそこまで悪いものなのでしょうか?
もちろん、兆円規模の資金を集める世界最高水準の研究大学に比較すれば、後れを取っているのは事実なのかもしれません。しかし、言われるほどの悲観的な状況かと問われると、そうではないと私は考えています。