成果が認められやすい環境までを自らつくる力
琴坂 私は、博士論文を書くことは、1つの物事に対して、一連の新しい見方を構成できる革新的な研究の集合体を、自分の力で作っていく作業だと思っています。
安宅 そうなると素敵だね。とにかくストーリー性のある何かでなければいけない。そこはヒアリング等を踏まえて相当厳しくやりました。自分の場合、それが勝因の1つだったと思います。
琴坂 自分の博士の研究には、ある程度、コンサルティングの経験が活きていると思います。ただ、マッキンゼーのプロジェクトが他のコンサルタントと違うことの1つは、論理的に正しい答え以上に、その会社にとっての正しさを探求していることかと感じています。
たくさんあるMECEの中から、その会社にとってのMECEを選んで、正しいオプションのうちから、その会社が実行できるものを選び出していくことのような気がしています。それは、単なる分析を超えて、その人たちをわかることであり、その人たちの「イシュー」を理解することですよね。
安宅 そうだね。そういう経験を通じて、そのイシューをピンポイントにブシュっとやる力がすごく上がっていたのは、明らかに有利でした。コンサルティングのプロジェクト・マネジメントのように博士の研究をすることができたので。ただ、自分があそこまで早く結果を出せたのは運でした、と。
琴坂 私も3年半で取れました。それも安宅さんとまったく同じで、半分はマッキンゼーの経験で教えてもらったことで、半分は運なんですよね。
3つの研究すべてが国際学会の査読を通りましたけど、そのときの査読者が僕のことを嫌いだったらダメだった可能性もある。そこは自然科学との違いがあります。“宗派”の違う人が当たるとダメ。
安宅 論文を査読に通すことまで見据えると、実は、自然科学の世界にもそれがあるんですよ。その意味で、自分で言うのもあれですが、僕のコミッティーの組み方は完璧でした。その道の第一人者を揃えたんです。
自分がやろうとしていたテーマに必要な全部を詳しく知っている人はいませんし、だからこそ僕はその研究を選びました。ただ、僕の研究に必要な1つひとつの要素の道においては、1、2を争う人を揃えました。
それから、ここのジャーナルはあの人とあの人がレビュワーだ、ということはもちろん情報になっている。単にトピックの専門家なだけでなく、こうしたことに対しても知見が深く、論文を通しやすい環境を自分で作りました。