規制・慣習の差を“悪用”して利益を生み出せる
こうして、どの企業も1つの国に依存せずに、世界中に拠点を設立して、それを統合的に運用できる時代となるのであれば、国家は新たな次元でその産業政策を考え直す必要があるはずです。
企業が合理的な思考で動くと考えると、世界中の国の政策を見て回り、コストとベネフィットを比較検討しながら、母国にもどの国にもこだわらず、自社にとってもっとも都合の良い拠点配置をするようになる、と想像することは可能です。
たとえば、スターバックスやアマゾンやアップルのように世界的に展開する企業が、公然と合法的に行っているように、全世界の拠点を最大限に活用することで、所得税などの税金を最小限とすることができます。
下図は、『領域を超える経営学』の第20章「『企業の倫理』が未来を変える」で、日本政府の資料を引用して作成したイギリスのスターバックスの節税スキームの図解です。
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イギリスのスターバックスは、コーヒー豆の生産国から直接コーヒー豆を輸入するのではなく、スイス現地法人とオランダ現地法人を経由させて、そこで利益を吸い上げ、さらにアメリカ本社とヨーロッパ本社にも費用計上を行い、所得税率の高いイギリスでの納税を最小限にしようとしていたのです。
こうした税制面にとどまらず、各国の間に存在する規制や慣習の差を、ある意味で“悪用”する企業は跡を絶ちません。
たとえば販売面では、「タバコは健康に害がある」という認知と、タバコの販売に関する規制が進む先進国がタバコ販売を抑制する一方で、そうした規制がない途上国では、大々的に宣伝を行い、商品を拡販する企業が存在します。
また、生産面でも、先進国では有害と認知されている化学物質の生産を低コストで行うために、環境基準の甘い途上国の工場で、先進国では極めて有害とされている汚染物質を垂れ流している企業がいる、という現実は大きく取り上げられません。さらに、こうした行動をその国が規制しようとしても、極端に言えば、企業はその国での生産や販売を取りやめて、別の国に移動していくのみです。
企業が、その規模にかかわらず、いま以上に全世界を活用できる時代になるということは、国の産業政策の意思決定が、もはや国際的な競争の文脈からは逃れられなくなるということを意味します。
たとえば、法人税を値上げすれば、その分、企業は日本を捨てて海外に行くでしょう。解雇規制をさらに強めれば、企業は日本国外での雇用にさらに傾倒するでしょう。電気料金の負担があまりにも重ければ、製造拠点としての日本の魅力は相対的にさらに低くなります。
移転に伴う追加的な費用よりも、移転で得られるコスト削減などの効果が総体的に大きいならば、躊躇なく日本から消えていく企業が現実的に存在するのです。
本来であれば国際協調の中から、こうした国境を越えた企業の取引に対して、適切な管理統制の枠組みを検討していくことが必要なのかもしれません。
しかし私が知る限り、いま現在、そうした多国間の協調の動きは、極めて限定的で前に進んでいないように思えます。
そしてそれ以上に、国家の産業政策の立案の現場において、こうした世界的な価値連鎖の現実を理解する時間が十分に確保できているのでしょうか?また、それを理解していたとしても、国家が現実的な対抗策を実行することは、果たして十分にできているのでしょうか?