周りと調和を取るために
悩みを作り出していた?
古賀 小林さんのお話は、『嫌われる勇気』の一つのテーマでもある「他者は自分の仲間なのか、それとも敵なのか」という問題に関わっていると思います。僕はアドラー心理学を知るまでは、他者を敵とまでは思っていなかったけれど、「もしかしたらいつか自分を攻撃してくるかもしれないから、皆にいい顔をしておかないと」くらいにイメージしていたんです。
小林 私はあまり人を信頼できないんですよね。メディアの世界に入ってから、信頼している人にしか話していなかったはずのことが、なぜか週刊誌に書かれるという経験をしたり、いわれのないことを言われたり。誰を信じていいのか分からなくなってしまいました。だから、特に仕事関係の人は、本当に信頼できるまで時間が掛かってしまいます。
古賀 僕も他者が自分の仲間だと思えるまでかなり時間がかかりました。でも、仲間だと思えないと対人関係に踏み込んでいけませんよね。ニワトリが先かタマゴが先かみたいな話ですけど、これはもう損得で考えるしかないような気がするんです。仲間と思ったほうが得だと無理にでも思う。もちろん裏切られることもあるでしょうが、それはそうなったとき考えればいいことであり、今の自分にできることはとりあえず信じて飛び込んでみて、一歩前に進むこと。それで傷ついても、なにもしないよりマシだと思います。
岸見 カウンセリングにこられるのは、自分のことが嫌いとか、人は敵だとか言う人ばかりですよ。
小林 そうなんですか。
岸見 そんな人は、カウンセリングで信頼関係を築こうとしても揺さぶりをかけてこられることがあります。「本当は私のこと、そんなに親身に思ってくれていないですよね」と。でも、私はそこで動じないし、「あなたがどう思おうと、私はあなたのことを仲間だと思っていますよ」と言い続けるしかない。すると最初は疑っていても、だんだんと世の中の人がすべて敵ではないことを理解してもらえるようになってくるのです。だから小林さんも、ここにいるスタッフ全員を味方だと思ってくださいよ。私も古賀さんもずいぶん前から今日を楽しみにしていましたし、予想どおり刺激的な鼎談になりました。
小林 ありがとうございます。私は悩むことが目的になっていたのかもしれません。昔から気づいたら目立つ場所にいて、なぜか反感を買っていたので、「自分のことが大好きです」「人生楽しい!」「料理もできないのに、結婚できてラッキー」となったらさらに反感を買い、調和がとれなくなるかもしれないとどこかで思っていたような気がします。調和を取るために悩むことが必要だし、結婚できない状況が楽だったのかもしれません。人前でこんなことを言ったのは初めてなので、ドキドキしていますが。