ヒロ 僕はNOBUニューヨークがオープンして1年半後、アルバイトのウエイターとして働き始めました。当時の僕の夢は映画監督かプロデューサーになることで、ニューヨークに留学中だったんです。いくつかの日本料理店でアルバイトをしていましたが、あるときNOBUという素敵なレストランがオープンしたと聞きました。
いちばん惹かれたのは、ロバート・デ・ニーロが共同経営者だという点でした。ノブさんのことはまったく知らなかったので申し訳ないんですが(笑)。映画界への足掛かりがつかめるかもしれない、でも普通に応募しても雇ってもらえないかもしれないと考えた僕は、誰かNOBUで働いている人を知らないかと聞いて回り、友人がNOBUの寿司シェフだという寿司シェフを見つけて、その人を通して履歴書を提出し、マネージャーが面接してくれてウエイターとして店に入ることができました。
この1996年当時、まだNOBUはニューヨークに1店だけで、ノブさんはロサンゼルスのマツヒサとNOBUを2週間ずつ行き来していましたから、いつも一緒にいたという記憶があります。寿司バーにもキッチンにもホールにも行き、皆に「ハーイ」と声をかけ、料理や盛り付けやサービスのしかたを確認する。ランチタイムが終わると一緒に食事をし、一緒に椅子に横になって昼寝する。日本人シェフたちはノブさんのことを「おやじさん」と呼びますが、父親のような、年の離れた兄のような感じがしましたね。
仕事が本当に楽しくて、そのうちにノブさんから「このままNOBUで仕事を続けないか」と誘われるようになりました。「いや、僕は映画監督かプロデューサーを目指しているんです」と断っていましたが、この仕事が楽しいということは自分に合っているのではないかとしだいに考えが変わり、永住権を取る際にノブさんがスポンサーになってくれたことを契機に、NOBUの社員になったのです。
海外のこともあまり知らなかった僕がいろいろなことを学べたこと、ノブさんがいつもオープンで、叱ってくれたり、すごく誉めてくれたり、自分たちに100パーセント向き合ってくれていることが決め手だったかなと思います。