入絵加奈子は2014年10月31日まで、帝国劇場で「Yuming singsあなたがいたから私がいた」に出演している。松任谷由実の歌と演劇を組み合わせた叙情的な作品だ。入絵は医療付き介護施設で暮らす80歳前後の老婆に扮している。深刻でロマン的な劇中、ただ一人のコメディエンヌとして優れた演技力を発揮していた(文中敬称略)。

1992年7月3日帝国劇場楽屋入口で

 帝国劇場は丸の内3丁目の国際ビルヂングの中にある。1911年の開場時から関東大震災(1923年)後の改修を経て、歴史的な意匠をまとったクラシックな劇場建築だったが、1966年に新築された帝劇は、三菱地所の国際ビルに収まっている。

「ミス・サイゴン」日本初演(1992-93) <br />もう一人の主役キム「入絵加奈子」の22年入絵加奈子

 したがって外観はごく普通の四角いオフィスビルだが、劇場の中に入ると48年間に蓄積された演劇やミュージカルの濃密な空気を吸い込むことになる。観衆はその落差に幻惑され、緊張を強いられる。まるで異界に放り込まれたようだ。

 帝劇は1911年から30年まで独立資本の経営だったが、30年に松竹が経営する映画館となり、39年まで続いた。40年には東宝の経営に移り、戦争を挟んで55年まで再び演劇が舞台にのる。55年から64年までは東宝が映画館として使用していたが、64年に解体、新築されることになる。そして66年に完成すると、東宝による演劇とミュージカルの公演が始まり、現在の隆盛にいたっている。日本のエンタテインメント史100年を呑み込んできた大劇場だ。

 松任谷由実も冒頭のMCで、帝劇の中は時間が止まっている、と話していた。終演後、入絵に会うため、地下1階の楽屋受付に降りて行った。楽屋は5階と6階にあるそうだ。

 今から22年前、1992年7月3日の夜8時ごろ、この楽屋口の狭い通路で東宝のプロデューサー古川清(連載第4回参照)以下、大勢の舞台スタッフが入絵加奈子の到着を待っていた。この日の「ミス・サイゴン」の第1幕で主演のキム役を演じていた本田美奈子が、レール上を移動中のセットに足を挟まれて指を4本骨折する重傷を負ったのである。

 本田は大量に出血しながら激痛をこらえ、第1幕最後の「命をあげよう」を歌いあげてから病院へ搬送された。急遽、第2幕のために入絵が呼び出されたのである。彼女は「ミス・サイゴン」初演時に本田とのダブル・キャストで主演のキムを演じていたのだ。