この日はオフで、代々木上原の自宅にいた。午後少し外出し、夜、帰宅した。時計を見て、「いま第1幕が終わったところかな」と思ったそうだ。

 突然、電話が鳴る。携帯電話はまだ普及していない。「ミス・サイゴン」が始まって2ヵ月間、日常生活では声を出さないようにしていた。1年半の長期公演だ。声帯を守るためである。周囲とは筆談だったそうだ。これは本田美奈子も同様だった。

 したがって電話にはめったに出ない。このときはたまたま反射的に受話器を上げたのだそうだ。すると、東宝のスタッフが「すぐに来てくれ!」と叫ぶ。事情を聞いて千代田線で日比谷へかけつける。約20分で到着。地下2階の千代田線ホームを駆け上がり、国際ビル地下1階の帝劇楽屋口へ向かう。ずらりと並んだスタッフの視線が到着した入絵に集まった。すぐに楽屋へ連れられ、着替え、メイク。幕間の休憩時間をたった20分延長しただけで第2幕が始まった。

 この日から本田が復帰する7月31日まで、入絵が週7回、アンダースタディ(代役)としてアンサンブルに出演しながら待機していた伊東恵里が週3回歌ったのだそうだ。東宝演劇部の資料に、「ミス・サイゴン」初演時のキム役として「本田美奈子、入絵加奈子、伊東恵里」の3人の名前が記載されているのはそのためである(伊東恵里さんについてはいずれ紹介します)。

初演時のキム役は3人いた

「ミス・サイゴン」日本初演(1992-93) <br />もう一人の主役キム「入絵加奈子」の22年「ミス・サイゴン」初演時の入絵加奈子と本田美奈子の歌唱が収録されている「日本公演ハイライト盤」のジャケット

 22年後の帝劇。「あなたがいたから私がいた」のドラマは1944年と94年、半世紀を往復しながら戦争中の悲劇と半世紀後の救済を描いている。94年は、入絵加奈子のミュージカル・デビュー3年目に当たる年だ。夜10時の楽屋入口で現実とドラマが交錯したのは、同じ帝劇で彼女のデビューを見ていたからである。

 本田美奈子が東宝ミュージカル「ミス・サイゴン」初演時のオーディションに合格して主演の座を射止めたことは、この連載で詳しく書いてきたとおりだが(連載第2回第3回第4回参照)、「ミス・サイゴン」初演のキム役はダブル・キャストだった。オーディションに合格したもう一人のキム役が入絵加奈子で、アンダースタディとして合格したのが伊東恵里だった。つまり、3人いたのである。

 アイドル歌手からミュージカル女優へ転じた本田美奈子は驚きをもって評価されたが、もう一人の入絵加奈子も当時の新聞の劇評で賞賛されている(1992年5月13日付「朝日新聞」など)。