業界史上最年少最短での上場を記録したベンチャー企業の経営破綻、そして起業家としての再生を描いた『30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由』の著者である起業家・杉本宏之氏が、本書の中にも登場する起業家たちと語り合う。第3回は、杉本氏を公私に渡って支え続け、再起を期した新会社設立の出資者ともなった恩人、楽天イーグルス社長の立花陽三氏の登場だ。後編では、東北への思いに話題がおよぶ。(構成・寄本好則 写真・寺川真嗣)

楽天イーグルス社長就任は、
自分自身のチャレンジだ。
お金の問題じゃない。

杉本 そういえば、いい機会なので一度伺ってみたいんですけど、陽三さんはそもそもなぜ外資で勝負しようと思ったんですか?

立花 大学を卒業して、一度国内の銀行に就職しようとしたんだよね。でも、内定式だったかな、ずらりと並んだ幹部の面々を見ながら「あの部長の席まで30年かかるのか」と思ったら自分の人生設計としては、少し長いなぁと感じたんだよ。僕はずっとラグビーをやってきて、大学を卒業したらラグビーを辞める決断をしていたんだけど、ラグビーの次に勝負する場所がここでいいのかと考えたんだ。

立花陽三(たちばな・ようぞう) [楽天野球団代表取締役社長] 1971年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、ソロモンブラザーズ証券に入社。その後、ゴールドマン・サックス証券株式会社を経てメリルリンチ日本証券にて債券営業統括本部長、常務執行役員を歴任。2012年より現職。

杉本 なるほど。だから、実力で勝負できる外資を選んだというわけですね。

立花 そういうことだね。

編集部 この本にも描かれていますけど、外資の金融マンとして順風満帆だったのに、楽天イーグルスの社長に就任されたのもセンセーショナルで驚きました。

杉本 そうなんですよ。おそらくは、当時相当高い年収を得ていて、金融業界で成功した一人だった。しかし突然まったく業種の異なる球団社長の道を選択された。

立花 お金のことはいいんだよ(笑)。楽天イーグルスの社長を引き受けて、本当にいい経験をさせてもらってます。三木谷さんからのオファーを引き受ける決断をしたのは、自分自身、本気でスポーツに取り組んできた人間として、スポーツビジネスの中で何ができるかチャレンジしたかったという部分が大きいですね。杉本君をはじめ、友人たちも強く勧めてくれましたしね。

杉本 2013年の日本一は劇的でした。

立花 いやあ、当時は忙しくて感動してる暇もなかったけどね。

杉本 たしかに。昼間電話をいただくことがなくなりましたよね。こちらから電話しても「忙しい時にくだらない電話してくるな!」と怒られました。

立花 ほんとに、僕には愉快な仲間たちがいるんです(笑)。