「人生は要約できない。要約したときに抜け落ちる部分こそが、その人の人生なのだ」
洒脱なセリフ回しが多い作家、伊坂幸太郎の作品『モダンタイムス』(講談社)の中での、登場人物のセリフです。
私たち人事担当者が日々、目にしている履歴書や職務経歴書、エントリーシートというものは、まさに「人生を(無理やり)要約」したものに他なりません。
履歴書・職務経歴書・エントリーシートといった書面の審査でも、面接のようなリアルな対面の場であっても、採用選考の場面ではどうしても人生を要約した部分でのやり取りが中心になります。
特に新卒採用の面接では、多くの学生の皆さんが、ある意図をもって自らの人生を要約した「切り取られたハイライト」を綺麗に語りたがる傾向があります。これはテクニック重視のキャリア教育の賜物でもあるのでしょう。しかし、本当に私たちが知りたいのは、「要約したときに抜け落ちる部分」も含めた、その人そのものなのです。これは大きなすれ違い、ズレです。
そこで今回も、前回に引き続いて新卒採用における面接を中心に書きたいと思います。
“尖がった凄い経験”
なんてそうそうない
まずは、学生側と面接官側の大きな2つのズレについてです。
1つめは「切り取られたハイライト」を説明しようとする学生と、「その人自体、その人全体」を理解・把握したいと思う面接官とのズレです。
例えば、就職活動までの3年間の学生生活のうちの、わずかに1週間を過ごした海外ボランティアの話ばかりを熱心に語ってくれるようなケースがあります。
もちろん、そのボランティアにどのような動機で行くことになり、そこで何を感じ、戻ってから自分の行動や価値観がどう変わったのか、ということから、その人全体を類推することはできます。
ただ、どうしても、「それはわかったけど、残りの155週間は何をやっていたのかな?」と聞きたくなってしまうのです。もちろん、そのような直接的で意地悪な聞き方はしませんが。
仕事というのは、終わることを知らない、果てしない日常の連続です。
もちろん仕事の中でも、しばしばハイライトにあたるような凄いイベントも起こりますが、基本としては果てしない日常の連続なのです。テレビドラマでみられる、驚くような偶然の出会いの連続や、劇的な事件の発生はというのは、そうそう毎週毎週都合よくは起こりません。
しかし、果てしない日常の中であっても、そこにはさまざまな葛藤があり、人と人との思いのぶつかり合いがあり、個人の創意工夫があり、小さな事件があり、そんな中で誰もが必死に自分の役割を果たそうとしているのです。
大学生活だって同じでしょう。
大学時代に、人に誇れるような尖がった凄い経験を持っていたり、目をみはるような業績を上げていたりする人は、ごくごく少数のはずです。企業はそんな人たちばかりがキャンパスに溢れているはずがないことくらい理解しています。
日々の大学生活の中での葛藤や工夫や思いなどをきちんと語ることができれば、すごいイベントを何度もこなしてきた人と十分に選考の場では勝負できるのです。ですから、落ち着いて自分の大学生活を見渡せば、語れることはあるはずです。
自分が一生懸命になった経験、そしてそこから自分が何を得られたのか、誰しも1つや2つはそのような経験があるはずです。そんなところから話を始めてもいいのです。