
競合のキリンホールディングスがヘルスサイエンス事業を強化する一方で、あくまでもアサヒグループホールディングスはビールを事業の中心に据えてきた。しかし、アサヒは国内ビール市場の縮小が続くことを受けて、全く新しい領域にチャレンジすべくグループの組織再編に着手し、さらに国内事業での「大目標」を打ち立てていることが分かった。特集『アサヒ 王者の撤退戦 ビールメーカーの分水嶺』の#5では、水面下で進む組織再編についてレポートする。(ダイヤモンド編集部 下本菜実)
「去るも地獄、残るも地獄」
社員500人が去った大リストラの記憶
浅草の雷門から程近く、隅田川沿いに立つ黄金色のその建物は、“日本で最も有名な本社ビル”と言っても過言ではないだろう。1989年に竣工した、現アサヒグループホールディングス(HD)の本社である。
創立100周年を記念して建設された本社は、ビル全体が琥珀色のガラス張りで、上層階は泡を模した外観となっており、ビールが注がれたジョッキのようなデザインが目を引く。本社ビルの横に並ぶ「スーパードライホール」の屋上には、炎を模した金色のオブジェが載っており、これは「新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心」を表しているという。
2025年、アサヒビールは創業136年を迎え、アサヒグループHDは売上収益、営業利益共に過去最高益を達成した。本特集#3『【独自】アサヒが非公表にした「ビール販売数量」データを入手!2強の激闘が明らかに、キリンが秋に打つ王座奪取への“秘策”とは?』で詳報しているように、アサヒはビール類の販売数量で業界トップに立っている。
しかし、本社ビルの建設が持ち上がった当初、同社はどん底にあった。85年、アサヒのビール類シェアは9.6%と過去最低を記録。81年から開始された「勇退者優遇措置」という早期退職プログラムにより、社員3000人のうち約500人が去ることになる大リストラの渦中にあったのだ。
「去るも地獄、残るも地獄、まさに地獄絵図の中にもがき、辛酸をなめる思いであった」。アサヒの創業120周年の社史には、当時、リストラに当たった労働組合委員長の言葉が記されている。
しかし、大規模なリストラとともに社内の体質を一新し、87年に発売した「スーパードライ」の大ヒットにより、アサヒは大躍進を遂げる。こうして、“ビール王者”に君臨する礎を築いたのだった。
あれから35年以上の時間が流れ、アサヒは目下、「国内ビール市場の縮小により、営業利益が3分の1になる」というシナリオに備えて、大規模な構造改革に踏み切ろうとしている。
25年2月、アサヒグループHDは、国内事業の管理・間接業務を担う子会社、アサヒプロマネジメントをアクセンチュアと共にジョイントベンチャー化する計画を発表した。
さらに、ダイヤモンド編集部の取材によると、28年10月にはアクセンチュアがジョイントベンチャーの全株式を取得することが分かった。ひもとけば、アサヒプロマネジメントの社員は将来的にグループの社員ではなくなり、“強制転籍”といえるものだった。
実はアサヒの構造改革は、管理・間接部門の切り離しだけにとどまらない。ほかにもさまざまな施策がグループ内で進んでいる。アサヒはどのような構造改革で“撤退戦”に備えようとしているのか。次ページでは、アサヒグループジャパンが構造改革の一環で進めるグループの組織再編と、国内事業で打ち立てた「大目標」を詳報する。