「雨傘革命」は終息を迎えたが
若者たちの激情は消えていない

革命のシンボルとなった、黄色い雨傘のモチーフ

 2014年9月から12月にかけて、香港で突然起きた学生らによる市街中心部の占拠事件。香港の行政トップである行政長官の選挙が2017年に行なわれることに際し、中国政府が自由な立候補を認めない選挙制度を決めたことに対して、民主派の学生たちが行政府庁舎前に結集し、大規模なデモに発展した。警察の催涙スプレーなどに若者たちが雨傘を開いて対抗したことから、「雨傘革命」と呼ばれた。

 足もとで「雨傘革命」は事実上の終息を迎えたものの、中国側と香港の若者たちとの主張は今なお平行線を辿っている。

 香港と言えば、以前から日本人観光客の人気渡航先として名高い。近代的なビルがそびえ立ち、欧米風のカルチャーが溢れるかの地には、中国の一部であるということを忘れさせる自由闊達な雰囲気がある。そこで発生した、極めて政治的な臭いのする事件に、驚いた日本の香港フリークも多いことだろう。グルメとショッピングのノンポリ都市として知られてきたこの街で、いったい何が起きたのか。

 雨傘革命は終息を迎えたが、それに参加した若者たちの心理や境遇をきちんと検証することなくして、香港史上に残る一大民主化運動として語り継がれて行くであろうこの事件の真相は語れないと、筆者は考える。香港に在住し、香港人の夫との間に子どもを持つ自身の視点から、知られざる彼らの「激情の裏側」を改めてお伝えしたい。

 若者たちが突き動かされた背景には、いったい何があったのか。それを理解するポイントは、第一に、古い香港人と新しい香港人との間に横たわる「中国観の違い」である。そこには、香港の世代間断絶や移民史が深く関わっている。

 占拠が起きた約1週間後の10月初め、香港人である筆者の夫の親族が集まる中秋節の食事会があった。メンバーは、姑(70)、次兄夫婦(40代後半)、我々夫婦(40代前半)、義妹(40代前半)、甥(義妹の息子、22歳)、次兄と私たちの幼い子どもたち、である。

 食事中にテレビで占拠の特集番組が始まり、みんなで鍋を囲みながら見た。真昼の道路に群衆が集まり、白い煙の尾を引いて催涙弾が打ち込まれる様子が流れる。ゴーグルにヘルメット、盾を構えた警官が群衆を押しのける。

「馬鹿なことをして」

 姑が、いかにも恐ろしそうに体を震わせる。40代組は顔を見合わせ、ため息をついた。次兄が苦々しげに呟く。

「若いやつらは、生活に困ったことがないからな。生きていくだけで精一杯だったら、こんなことはしないだろう」