その林厚見は、東大の建築学科を出て、経営コンサルティングのマッキンゼーに就職。その後、コロンビア大学に留学し、帰国後、30歳で不動産会社の役員をしていた。これだけ見ればまばゆいばかりの経歴だし、このまま順調なキャリアアップの道もあった。さまざまな選択肢があったわけだが、なぜか収入やステータスを上げていく道には進まなかった。理由は「自由に、好きな仕事をしたかったから」。外から見れば呆れてしまうだけだが、本人はいたって真面目である。

 林はマッキンゼー時代、1週間のアメリカ・LA出張の最後の夜、疲れきってとあるホテルにたどり着いた。そこは当時、話題になり始めていたデザインホテルだった。その空間、空気感、喧騒、演出やデザイン、すべてが衝撃的だった。「一気に心臓がどきどきした。その夜が僕の人生のベクトルを変えた。こんな空間をつくる仕事に関わりたい」

 マッキンゼーでの仕事に不満はなかったが、心の底からわき上がる感情を抑えることはできなかった。そうして1年後にコンサルティングの仕事を辞め、建築とビジネスの接点である不動産開発の修業をするために、アメリカに留学する。

 日本に戻った後は不動産ディベロッパーに就職し、ここで吉里に出会う。やりたいことを実践で経験できる環境に興奮した。けれど、次第にもっと自由にやりたくなっていき、独立を考えるようになる。

 馬場正尊は、吉里、林と同様、大学は建築学科だったが、大学4年で子どもができて人生が一転する。学生結婚をすることになり、妻と子を抱えバブル経済の最中に極貧生活を送る。とにかくそこから抜け出したくて、建築ではなく給料の良さそうな博報堂に就職。やっと手に入れた平穏な暮らしだったはずが、安定した空気に慣れてくるとモヤモヤとした気分が積もっていった。

 そして、29歳で会社を休職し、大学の博士課程に戻り、半分フリーランスのような状況になっていた。再び会社に復帰すると、今度は浦島太郎のような状況に陥ってしまう。一度自由な空気を吸ってしまった人間にとって、そのギャップを埋めることはできずに結局会社を辞めてしまう。

「安定して先が見えるのも不安、人生の先が見えないのも不安、同じ不安ならやりたいことをストレートにやった方がいい」。そう思ったのを覚えている。