おもしろいコトをマジメにやる

 世の中の仕事にはざっくり分けると二つある。便利さを追求したり問題を解決する「合理的な」仕事と、必要じゃないもので人を喜ばせる、ある意味で「非・合理的な」仕事である。電力やガスの会社、コピー機メーカーやスーパーは基本的には前者と言えるし、音楽やゲームは普通、後者だろう。

 昔、家電は前者だったけれど、オシャレな家電は後者かもしれない。ユニクロは強いていえば前者で、ハイファッションは後者といった感じ。マクドナルドや吉野家はある人にとっては前者であり、ある人にとっては後者かもしれない。iPhoneやFacebookはその境界にいるのかもしれない。きちんと分けきれない曖昧な定義ではあるけれど、ざっくりそうとらえてみることができる。

 人が生活を便利にしたり、効率化しようとするのは何のためなんだろうか。ラクをしたいからだろうか。それも一理あるだろう。人は基本的にラクをしたい生き物だから。だけれどもう一方で、人は結局、合理的でないことに没頭したいものなんじゃないかと思う。人間は昔から、踊ったり歌ったり祭りをしたり、恋したり、描いたり、うまいものを求めて旅をしたり、合理的ではないことにエネルギーを注いできた。

 合理的なことなんて目的ではないのであって、非合理的な喜びのための時間やお金を確保するために、人はより効率のいい手段をつくっているように思う。マジメに時間やお金を節約して、そうして合理化ばかりしているうちに死んでしまったら、まったく意味がないのだから。人間は合理的でないものに心惹かれると同時に、便利なものについつい惹かれていく。そして、そのなれの果てが幸せを実感していない日本の多くの人たちだったりする。

 今、世の中は何でも二極化と言われている。典型的なのが、高いものか圧倒的に安いものか、そのどちらかしか売れない、みたいな話である。これは要するに、「合理的なシゴト」と「非・合理的なシゴト」になぞらえることができる。それが、二極化の本質ということができるかもしれない。

 幸いなことに、人間はそんなに合理的じゃない。笑うことは合理的に説明できないし、してしまうと笑えなくなる。僕らの場合は、生きていくために絶対必要ではないかもしれないけれど、喜びや驚きや満足をたくさんつくりたい。

 東京R不動産は検索機能が不便だと言われることもたまにあるけれど、あえて合理的でない部分を残している。これは僕らなりのメッセージであり、スタンスの表明なのだ。しかし一方で、そうしたスタンスでやる仕事こそ、逆説的ではあるけれど、効率的にやらないと死んでしまう。工夫して効率を保ち、バランスよくやっていかないといけない。おもしろく仕事をするかわりに、けっこう大変なのは間違いない。