情報提供者として動いた元幹部
友人の元副会長はスキャンダルの常連

 14名の関係者が逮捕・起訴され、再選されたばかりのブラッター会長の辞任表明にまで発展した、FIFA関係者らによる贈収賄事件だが、捜査の中でキーマンとなったのが1997年から2013年までFIFA理事を務めたチャック・ブレイザー氏だった。

 2011年にFBIとIRS(米内国歳入庁。日本でいうところの国税庁)はブレイザー氏に近づき、ブレイザー氏が10年以上にわたって税金の支払いを行っていないことを告げ、FBIの捜査に協力するよう求めた。逮捕を恐れたブレイザー氏は司法取引でFBIの情報提供者となる道を選び、小型のマイクを隠し持ってFIFA関係者らとの会合に出席。密室で行われた会話の内容は、FIFAの長年の不正について調査を開始した米司法当局に筒抜けとなり、米司法省は2015年までの間に関係者を逮捕・起訴するに十分な証拠を集めてきたといわれている。

 ブレイザー氏はアメリカの国内リーグや代表チームのテレビ放映権で大型の契約を成功させており、ビジネスマンとしての顔も持つが、異色の経歴も話題になっている。ニュースサイト「バズフィード」の調査報道記事によると、もともと選手としてサッカーをプレーしたことのないブレイザー氏がサッカーと出会ったのは1976年で、息子が地元で少年サッカーのチームに入った際に、ボランティアでコーチなどの仕事を引き受けたのが始まりだった。

 その後、地域のサッカー団体の仕事を経て、1984年にアメリカ・サッカー協会の副会長に選ばれる。当時のアメリカではサッカー協会の要職といっても名誉職的な意味合いが強く、ぜいたくな暮らしができる仕事ではなかった。実際にブレイザー氏は80年代後半に借金を抱えて、経済的に困窮していたという報道もある。

 アメリカ・サッカー協会の会長に就任したことで、他国のサッカー協会関係者とのパイプ作りに励むようになったブレイザー氏は80年代半ばにトリニダード・トバゴでサッカー協会の会長を務めていたジャック・ワーナー氏と出会い、親交を深めるようになる。当時のワーナー氏はブレイザー氏と同じように、サッカー協会の会長であったものの、本業は教師で、現在のような大富豪のイメージは全くなかった。

 1990年、ブレイザー氏は友人のワーナー氏にCONCACAF(北中米カリブ海連盟)の会長選に立候補するよう要請。ブレイザー氏の協力もあり、ワーナー氏は会長に選出された。ワーナー氏は協力の見返りとして、ブレイザー氏に事務局長のポストを与え、教師の仕事も辞めてサッカー協会の仕事に専念するようになる。

 その後、アメリカ国内でのワールドカップ人気も追い風となり、サッカーはアメリカでも金を生み出すコンテンツに変化。ワーナー氏はFIFAの副会長に就任し、ブレイザー氏はアメリカ人としては50年ぶりとなるFIFAの理事に就任した。ブレイザー氏はマンハッタンのトランプタワーで二部屋を借り(一つはペットの用の部屋だった)、アメリカ各地に不動産を所有するスポーツ界のセレブとして知られるようになった。