“ありのままの自分”
からのスタート

岸見 一方で、自分で努力したからといって、「もしも」の殻を破れるとは限らないのも事実です。例えば僕は自分の背が低いのが嫌でとても悩んでいた時期がありました。友達に相談したら「しょうもな」とバッサリ斬られて、それから長い間口もきかなかったほどでした(苦笑)。

働くアラサー女子的<br />「もっと自由に生きる」ための処方箋

はあちゅう 容姿は、女性にとっても永遠のテーマです。正直なところ、私自身も「もしも、もっとやせていたら」「もしも顔が小さかったら」などと考えることはありますが、こうした問題は言い始めたらきりがありません。

岸見 はい。大人になってから自分の意志で背を伸ばすこともできないじゃないですか。そんなとき、僕はアドラーの「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」(本編44ページ)という言葉に本当に救われたのです。“ありのままの自分”、現実の自分から始める以外にないのです。

はあちゅう 私も確かに、美人の友達をうらやましいと思うことはありますが、自分は自分でしかない。「変えられないものは、変えられない」という事実を受け入れることはできるようになりました。顔が気に入らないなら、メークの方法を変えてみたり、しゃべり方を変えてみたりとアプローチを変えればいいんですよね。

岸見 そうそう、外見より内面のほうが大事だという男性だって少なくないし、最終手段として整形手術だって否定はできないと思います。

はあちゅう そういえば、私は昔、胸が小さいのがイヤでずっと大きくなりたいと思っていたんです。でも、以前おつきあいしていた彼は、小さい胸の女性が好きだった。捨てる神あれば拾う神あり、じゃないですが(笑)、自分が嫌だと思っていたことも、人によっては「いいな」と思える要素になるんだと実感しました。

岸見 僕の背の低さについても、「しょうもな」といった友人は「君には人をくつろがせる才能がある」とも言ってくれました。自分の欠点や短所を「どうせ私は○○だから」と言い訳にせず、人間関係の中に入っていけば、そこでしか味わえない人生の喜びがありますからね。ぜひその勇気をもってほしいと思います。