どじょう内閣の迷走――野田佳彦

野田佳彦 photo:wikipedia Copyright by Leon E. Panetta

 菅の後を引き継ぎ内閣総理大臣に就任した野田佳彦は、民主党代表選の演説で自らを泥臭いどじょうに例えたことで「どじょう内閣」と呼ばれた。これは、不人気でも泥臭く国民のために汗をかいていきたいという決意を表した言葉だ。

 日本新党結党に参加して衆議院議員となった野田は、その後小沢一郎が作った新進党に参加した後民主党に参加し、菅内閣では財務大臣に就任した。国民的知名度は低かったが、むしろそれが新鮮な印象を与え、民主党への不信感が高まるなか、国民から好意的に受け入れられ、内閣支持率は発足当初62%と上々だった。

 最初野田は、震災対策に取り組み、その復興財源の調整や原発対応などに尽力した。しかしその後、消費税を段階的に10%に引き上げる案を示したあたりから、野田内閣への批判が始まった。確かに税収不足と震災対応で財源不足は理解できるが、それでもまだ震災復興のめどが立ってない段階での消費税増税論は、国民感情を逆なでした。

 これを期に、野田内閣の支持率は下がり始める。その後は大飯原発の再稼働李明博韓国大統領の竹島上陸尖閣諸島国有化宣言後の中国との緊張などでどんどん支持率を下げ、11月半ばの段階でついに19%と20%を切った。

 結局、野田は解散総選挙に打って出るタイミングすらつかめず、2012年12月、任期満了直前に解散総選挙となり、自民党に惨敗することになる。

なぜ民主党政権はうまくいかなかったのか?

 あれだけ国民から期待された民主党政権が、最後はボロボロの延命内閣になってしまった理由は、いくつかある。まずは「政治主導」という言葉のとらえ違い、これが大きかった。政治主導とは決して官僚の“排除”ではなく、政治家のリーダーシップの下、官僚を“うまく使いこなす”ことだ。

 民主党は政権発足当初から「政治主導・脱官僚」を唱えていた。確かに官僚政治を悪とし、それを排除する方向性は、国民から支持されやすい。だがそれは、自分たちに確固たる政策立案能力と執行能力があってこそ実現するものだ。

 ところが民主党は、官僚を完全に閉め出して政策決定を行うには、あまりにも若かった。政治家サイドから省庁に出向する大臣・副大臣・大臣政務官の中に、官僚以上の政策立案や予算編成をできる者はおらず、また官僚以上に根回しに長けた者はいなかった。

 しかも、政治サイドで意思決定するとはいっても、党全体で討議にかけることはなく、ごくごく一部の人間だけで意思決定された。これはリーダーシップではなく、単に党として成熟していないだけだ。結局民主党は官僚を排除したことで、政治を拙く、無駄な予算のかかるものにしてしまった。

 また、この誤った政治主導のせいもあって、選挙時の「政権公約」、いわゆるマニフェストがほとんど守られなかったことも、民主党の人気を下げる結果となった。

 確かに民主党がマニフェストに示した政策は、どれも素晴らしかった。高速道路の原則無料化、公立高校の実質無償化、中学卒業まで月2万6000円の「子ども手当」支給、国家公務員の天下りや“渡り”の斡旋を禁止、ガソリン税に上乗せされている「暫定税率」の廃止……これらが本当に実現されるのならば、これ以上素晴らしいことはない。

 だがこのマニフェストの内容は、ほぼすべて実現できなかった。実現したものはといえば、公立高校の無償化ぐらいだ。

 なぜそうなったか? 一つは政治主導の弊害のせい、そしてもう一つは、予算の見通しが甘かったためだ。

 実は民主党は、これらマニフェストに書かれた政策執行の予算を「埋蔵金」に求めたのだが、これがそもそも甘かった。埋蔵金とは、霞が関に眠っているとされる、特別会計の剰余金・積立金の俗称だ。

 民主党の読みでは、これが8兆円ぐらいある上、現行予算からも20兆円ほどぜい肉は削れるはずだから、これらを使えば国債をほぼ発行しなくても、マニフェスト実行のための予算は組めるはず――民主党はそう考えた。

 そして、その埋蔵金を探し、予算のムダを削るべく行われたのが「事業仕分け」だ。これは民主党政権下にあった「行政刷新会議」が、国家予算の中でも不透明な部分の多い独立行政法人や特別会計予算の必要性を判定したイベントだが、当初はかなり注目された。

 なぜなら予算編成のプロセスを、事業担当者を呼びつけて追い込む姿まで含めて「テレビ中継」したからだ。事業担当の役人たちが、蓮舫など民主党国会議員の鋭い追及にたじたじとなり、ペコペコする。その姿はかなり面白く、政権交代したと実感させる映像だった。蓮舫が次世代スーパーコンピューター開発費の予算を話し合っているときに飛び出したフレーズ「2位じゃダメなんですか?」が飛び出したのも、この事業仕分けだ。

 ただ残念ながら、その追及は不十分で、しかもその判定結果に拘束力はなかった。結局合計3回やった事業仕分けでは、埋蔵金は見つからず、予算のムダも削れず、仮に見つかっても「廃止の判定」や「返納を求める」ぐらいしかできなかった。

 この結果に国民は「事業仕分けは単なる国民へのガス抜きか」と失望し、2回目以降急速に注目されなくなっていった。また、民主党は社会党・さきがけ・日本新党・新進党など多くの政党が集まって結成された政党だけに、党内に小グループが乱立し、意見を取りまとめることが難しかった。

 この辺が自民党との大きな違いであり、党としての成熟度の差だ。自民党のすごいところは、ふだん仲が悪くていがみ合っている議員たちが、いざ議決の段階になると、とたんに一枚岩の結束を示す。この腰の強さがあるからこそ、仲の悪さも「活発な議論」に見え、国民から支持される。

 対して民主党は、仲間のミスをフォローするどころか笑い、結束すべき局面で足を引っ張り合った。そういう部分を国民に見えるところでやったのでは、国民の支持を取りつけるのは難しい。

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