15日に行われたアイスホッケー全日本選手権でSEIBUプリンスラビッツ(以下、西武)が日本製紙クレインズを破り、連覇を達成した。
優勝でも廃部
選手が見せた最後の意地
西武は今季限りでの廃部が決まっている。ファンは存続を求める署名活動を行なっているが、先行きは不透明。西武の選手は西武グループの社員が多く、廃部になったからといって即失業ということはないだろう。が、チーム存続が不可能なら、好きなアイスホッケーを諦めなければならない事態になる。誰もが不安を抱えてプレーしていたはずだ。
にもかかわらず決勝では劣勢を挽回して6-5で勝利。このシーンを見て、1998年元旦に行なわれたサッカー天皇杯を思い出した。この時、日本一になった横浜フリューゲルスも、メインスポンサーが経営破たんし横浜マリノスへの吸収合併、事実上のチーム消滅が決まっていた。しかし、選手たちは「このチームで1日も長くプレーしたい」と奮起。トーナメントを勝ち進み、決勝では清水を2-1で破って有終の美を飾った。
西武の選手たちも、この時のフリューゲルスと同様の意地を見せたのである(もっともアイスホッケー全日本選手権は最後の試合ではない。まだアジアリーグが残っており、最後の試合となるのは3月13~23日のプレーオフファイナルだ)。
ともあれ西武の廃部は、“企業スポーツの崩壊”が本格的に始まったことを示す象徴的な出来事といっていいだろう。
日本アイスホッケーリーグがスタートしたのは1966年。これに合わせて創設されたのが西武の前身である西武鉄道アイスホッケー部だ。西武鉄道グループの総帥になって2年目の堤義明氏が大のアイスホッケー好きで、鶴の一声でチーム創設・リーグ参加を決めたといわれる。
リーグ戦は当初5チームで行なわれたが、72年に1チームが廃部。4チームではリーグ存続が危うくなるため堤氏はチームを分割し、西武鉄道と国土計画のふたつのチームを持つことになった。74年には十条製紙(現・日本製紙)が参加。6チームでのリーグ戦が2001年まで行われた。
6チームといっても優勝争いをするのは実質、西武鉄道、国土計画、王子製紙の3チーム。3強時代が長い間続いた。この3強のうち2チームを堤氏というひとりのオーナーが持っていたのだからすごい。
ファンよりも先に
オーナーに深々と一礼!?
筆者もアイスホッケーは好きで、よく会場に足を運んで観戦したが、ここでは“違和感”のあるシーンに遭遇したものだ。東京では品川プリンスのアイスアリーナが会場になることが多かった。このアリーナの隅の最上部には特別に作られた部屋があって、堤氏はここで観戦する。選手は試合終了後、応援してくれたファンにではなく、まずこの部屋にいる堤氏に向かって深々と一礼をするのだ。