ドラッカーが書き切れなかった、
これからの時代の宿題

岩崎夏海(いわさき・なつみ)
1968年生まれ。東京都日野市出身。東京藝術大学建築科卒。大学卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。放送作家として多くのテレビ番組の制作に参加。その後、アイドルグループAKB48のプロデュースなどにも携わる。著書に『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社)など。

岩崎 ところで、僕は『マネジメント』を読んで、ドラッカーは「人をどう育てるのか」「教育とは何か」については、意外と立ち入っていないと感じていました。

上田 そう、立ち入っていないんですよ! まるで立ち入っているような顔をして、私も翻訳しているんですけど、彼自身は立ち入っていなかった。

岩崎『マネジメント』の中で、気難しい人が成果を上げる、というようなことが書いてあるけど、それがなぜかということには言及していない。なぜなら、ドラッカー自身も難しい領域だと感じていたからだと思います。

 例えば、教育がうまくいかなかったときにこそ生徒が伸びたり、優れた教育者ではない人のところで、生徒が伸びることがあったり。……ドラッカー自身は、自分より教育に優れている教育者は大勢いると公言していましたよね。

上田 シュバルツバルト小学校で出会った、エルザ先生やゾフィー先生などがそうでしょうね。

岩崎 そういう出会いがあったからこそ、自分自身が教育する側になると、教育は難しい、一筋縄にはいかないと感じるようになったのではないかと思うんです。「人を育てる」「居場所を作る」「役割を与える」ことの難しさを痛感していた。それが、ドラッカーの心の奥底にあったもう一つのテーマなのかなとも思いました。

 自分はあえて立ち入らないけど、教育の難しさには関心を抱いていて、だから、著作の端々にちらちらと出てくるわけです。でも、ちらちら出てくることが、僕にはドラッカーの中における、教育というものの大きさを感じることになりました。だから『もしイノ』では、ドラッカーがあえて触れなかった「教育とは何か」について、触れたいと考えました。ドラッカーがあえて正面から触れなかったからこそ、きっと大きな存在だったであろう「人を育てる」、あるいは「弱みを克服して成長する」ということについて言及したのです。

上田 なるほど。岩崎さんの新作では、「マネジメント」と「教育」の違いも大きなテーマになっていましたね。マネジメントは「強み」を活かしていくものだけど、教育は「弱み」を克服していくものだという。

 ドラッカーは教育の難しさを感じていたと思うけど、自身の教育にはマネジメントを実践していた。例えば、マネジメントは「実践」でやらなければいけないという一つの例にもなりますが、「ドラッカースクール(Peter F. Drucker and Masatoshi Ito Graduate School of Management)」を卒業した教え子たちに何年か一回電話をして、社会に出てから「もっとこういうことを教えてほしかったということはないか」「こういうことをしたらいいのにということはないか」ということを、丁寧に聞いていたんですよね。学生の身になって、その後の教育にフィードバックできる気づきを聞いていた。これなんかは、マネジメントによる教育ですね。

岩崎 それは、自身の教育の質を高めるというマネジメントだったのでしょうね。考えてみたら、ドラッカーは死ぬ直前までコンサルタントとは別に、教育者、先生を務めていましたよね。

上田 コンサルティングは実験の場みたいな面もありますが、教育はもっと、人間的なものですからね。事業の成功うんぬんより、もっとはるかに大きな話です。

岩崎 でも、ドラッカーは教育論を書いていませんよね……。

上田 書いていないですね。エルザ先生のワークブックという、今に至ってもよくわからないものを紹介してはいますが(笑)。

岩崎 それこそ、ドラッカーが僕らに課した「宿題」ではないかと感じたんです。後世の人間が、ドラッカーの『マネジメント』という土台の上に社会を築いていくためには、もう一度「人を育てるとは」「成長とは何か」ということを真剣に考える必要があると。

 ですが、今の時代は教育より、コンサルタント的な問いの方が好まれますね。『もしドラ』にも書きましたが、「顧客とは誰か」の定義の話などは、本当によく聞かれます。つまり、ドラッカーが『経営者に贈る5つの質問』の中で示した、あの「最も重要な5つの質問」(「われわれのミッションは何か?」「われわれの顧客は誰か?」「顧客にとっての価値は何か?」「われわれにとっての成果は何か?」「われわれの計画は何か?」)などを重視しすぎるきらいが、ちょっとあるような気がします。

上田 経営者にとっては一番効果があって害がないものですからね。ただね、効果があって害がないというだけでは、ダメなんですよ。うまくいってしまうことを打ち負かすだけの力がないと、ダメなんです。

岩崎 その「打ち負かす」ステージにみんなが向かうといいんですが、ドラッカーを学ぶ人の中にも、そこに向かない人が多いと思いませんか? ドラッカーがさまざまな著作を書いたのは、別に会社経営をうまくいかせるためだけではないですよね。

上田 ドラッカーも食べていくためには、ある程度はやらなければならなかったわけで、例えばゼネラル・エレクトリック(GE)社のジャック・ウェルチは良い顧客だったわけですよ、行動力もあるし。ただし、ウェルチをドラッカーは本当はあまり評価していなかったと思う。下から何割は自動的に首にしてしまうという経営手法や、退職したときに自分だけ大金を得ていくというやり方をしましたからね。

岩崎 ドラッカー自身は、お金や会社の利益などを超えた価値のあるものが好きなんでしょうね。

上田 だから彼は、保守的な保守主義者にはなり得ないんですよ。ただ、それを正面から批判することもしなかった。そこが生ぬるいところかもしれないけれど、世の中はそういうものだから、その世界に対峙するためには、右脳左脳を総動員して、ジレンマを抱えながら生きていかなければならなかった。

岩崎 「矛盾を受け入れなければならない」「保守のために変化していかなければならない」とドラッカー自身、言ってますよね。保守主義というと、えてして良くないものも保守することになりがちですが、ドラッカーは保守の本質こそ変化であると述べています。これもやっぱり矛盾する概念なので、ぱっと見には分かりにくいのですが、僕はここが本当にすごいところだと思いました。

上田 先ほどの例のように、自分の教え子たちに話を聞いていたのも、今の世の中の問題が一番わかるからで、それが後々の変化にもつながる。ドラッカーの場合、「教育論」は書かなかったけど、教育を通して得ていたものは非常に大きかった。

 自分一人でできることは、限られている。でも教えることで学ぶ機会が得られ、それによって学びの本質がわかる。そういうやり方で、第一線で活躍してきた。実際ドラッカーは、学生と付き合うことには、多くのことを学べるメリットがあるとはっきり書いていますからね。

岩崎 ドラッカーは常に学ぶことに貪欲だったんですね。教育にこそ、常に変化、つまり継続的なイノベーションが求められますからね。そこに、お金や利益を超えた、本質的な価値を見出していたのだと思います。

(後編は11月25日公開予定です)