英語はビジネスの道具でしかない
日本人の「恥の文化」が成功を遠ざける

 彼は自分が「英語ができない」ことを自覚しているが、それを「恥」に思うとか「恐れ」を感じるなどということはない。将来英語を使って仕事をするとは夢にも思わないまま、20年日本で仕事をしてきたのだ。できなくて当たり前と思っている。

「これがアメリカやイギリスだったら話は違うんですけどね。マレーシアだから、『この程度』でいいんですよ」と彼は言う。

 だが筆者が思うに、彼の分析力とメンタリティがあれば、アメリカやイギリスに行ったとしても、相応の英語力を身に着け、彼のビジネススキルをいかんなく発揮できるだろう。たぶん、彼自身、そのことに気づいていない。

 大抵の場合、日本人は海外に出たいという漠然とした希望を持ちながらも「英語がこんなんじゃあ…」といって尻込みしてしまうことが多い。それは、これから行く先にある困難がどんなものかを考えずに、ただ怖がっているのと同じだ。

 そうなってしまうのは、なぜか。それは「こんな英語を話してるようじゃ、カッコ悪い、恥ずかしい、周りにバカにされる」といった「恥」の感覚が強すぎるのだ。英語はビジネスの道具でしかない。ならば、ビジネスに必要最低限の不格好な英語でOKなはず。頭ではわかっていても、普段日本の「恥の文化」に生きていると無意識にそれに浸かってしまうのだ。海外に行ったときには、それはマイナスの要素のほうが大きい。

 Aさんの素晴らしいところは、「自分がここで生き残るためには、どの程度の英語力でいいのか」を冷静に、正確に分析し、英語習得のコストを節約して他のことに回した点だ。無駄な英語を学ぶよりは、一刻も早く仕事に慣れて、新しい取引先を見つけるほうが重要だ、と彼は判断した。

 インタビューの際、彼はこう話した。

「私は20年間、日本で営業の仕事をやってみっちりスキルを身につけました。今、ここでやれているのはその時の経験のノウハウがあるからです。それが99%。こっち来て身につけた英語力は1%しか役に立っていません」

 グローバル化の中で、海外で働く日本人は多いが、このように自分の取り巻く環境を冷静に分析し、そこで英語力を含めて最適化を図る「サバイバル力」を持っている人は、そう多くないだろう。

 そして重要なのは、そのようなサバイバル力の源泉は、日本で培った仕事のコアスキルなのだ。これはつまり、「仕事をするための実力」は、言語や文化を問わず重要で、それがあって初めて海外で生き残るための準備ができるということだ。

 ならば、日本の中で環境に応じて生き残り、その環境をより良く変えるために海外に行く人こそが世界でやっていける人材、ということになる。

 彼は、異国での言語以外の不自由もあまり気にしていないという。食べ物や衛生環境は日本と大きく違うし、それに不満も持つ現地在住日本人も多い中、彼は「まあ、日本じゃないんだからこんなものでしょ」と、涼しい顔だ。

 筆者の推測でしかないが、「20年勤めてきた会社が潰れて、明日からどう生きるか」という困難を乗り越えてきた彼にとっては、慣れない文化的なものなど、あまり重要ではないのだろう。

 Aさんの例は、グローバル人材開発の肝は言語にあるわけではないことを教えてくれる。環境分析力と、自分の能力の最適化、そしてそれができるメンタリティが重要なのだ。