「初日は盆暮をあわせたような忙しさだと思ったら、翌日は、配るものが無くてヒマなんだから開いた口がふさがらないよ」
新生ゆうパックの現場応援に駆り出された埼玉県の郵政職員は憤懣やるかたない様子だ。
7月1日に、日本郵政グループの郵便事業会社「日本郵便」が、日本通運の宅配便事業「ペリカン便」を吸収して新たな出発を切った新生「ゆうパック」。
新ゆうパックの取扱窓口は、ペリカン便の約6万カ所が加わって、約13万5000カ所と倍増し、配達時間帯も以前の5区分から6区分へと細分化した。きめ細かいサービスの提供を売り物に、業界二強のヤマトと佐川を追い上げようというわけである。
だが、驚いたことに、新ゆうパックは再スタート初日から、暗礁に乗り上げてしまっている。
冒頭の郵政職員によれば、「7月1日配達指定のゆうパックを翌日に配っているんだから、初日から時間帯指定どころか、期日指定すら守れていない。局の電話はクレームで鳴りっぱなしだ。配達日時にうるさい某蜂蜜会社や、大事なお中元の配達を任せたデパートなどは烈火の如く怒っている。局の幹部は今、退職したOBにまで電話を掛けて、人手をかき集めているよ」と苦笑する。
実際、この職員も、集配課の職員ではないが、パンク寸前のゆうパックの集配に駆り出されたのだ。
都内の郵政職員は「7月1日は速達や小包担当の集配職員までが、勤務終了後の夕方に急遽、ゆうぱっく配達に召集され、全員が夜9時過ぎまで残業した。それでも、配りきれず、最後は管理職が夜中にバイクで配っていた」と明かす。
一般にゆうパックの配達は、多くは外部業者に委託されており、郵便局員が配る場合でも、専任職員が専用車両を使う。担当外の職員が、大きな荷物の積めないバイクで配ること自体が異常事態だ。
にもかかわらず、初日は時間通り荷物を配れない遅配を相当起こしたのは確実だ。
さらに、翌2日には「ターミナル」と呼ばれる物流基地、例えば新東京郵便局や新都心郵便局(埼玉県)など、ゆうパックなどの郵便物の受付・区分・発送に特化した巨大局が機能マヒを起こした模様だ。
初日の大わらわから一転、「応援に駆り出された職員が手持ち無沙汰で局舎にいる」(郵政職員)という状況は、ターミナル局から末端の郵便局(普通局)にゆうパックが届いていないからこそ起きる事態だからだ。
振り返れば、日本郵政は民営化を控えた2007年に年賀状配達で大量遅配を起こし、行き過ぎた人減らしが原因と批判された。それと同じことが今度はゆうパックで起きているというわけだ。
もともとゆうパックとペリカン便の統合による混乱は当初から予想されていたことだった。
そもそも、ゆうパックとペリカン便は当初は、日本郵便と日通の共同出資会社「JPエクスプレス(JPEX)」に事業統合されるはずだった。だが、準備不足などを理由に総務省の認可を得られず、JPEX傘下に入ったのはペリカン便だけで、赤字を垂れ流すばかりだった。そこで最後は日本郵便がJPEXを事実上救済合併し、再出発したのが新生ゆうぱっくだ。
それゆえ、「民営化に向けたリストラによる人手不足、これまで経験したことのない事業統合への準備不足が明らかなのに、このまま突っ走って大丈夫か」という声は以前から現場に渦巻いていた。
先のターミナル局のマヒも、ゆうパックとペリカン便のオペレーションの統合がうまくいかず荷物が滞留しているためと目される。
日本郵便側も7月1日は、ゆうぱっくに関連する職員は全員出社させるなど、年賀状配達並みの人員シフトを敷いてはいた。
だが、7月からスタートするお中元シーズンに、参院選関連のパンフなどのいわゆる「選挙郵便」が加わって『ブツ』(郵便物数)が膨張する中で初めての事業統合を行えば、何が起きるかは火を見るより明らかだった。08年4月、09年10月と二度に渡って延期された統合が、今回に限ってはうまくやり遂げられるほどの準備を進めていたという様子もない。
日本郵便広報はこの件に関して一切の取材を拒否している。
出だしから躓いた新生ゆうパックが果たして、業界2強のヤマトや佐川に追いつけるのだろうか。その前途はあまりに多難である。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 小出康成)