その後の音盤のジャケット写真の変化も印象的です。グラムロックを牽引した「アラジン・セイン」(写真)とベルリン時代を代表する「ロウ」(写真)は、音楽の変化がジャケットに如実に反映しています。

 ボウイは、旺盛な創作意欲で話題作を発表し続けます。2003年「リアリティ」発表後には世界ツアーを敢行します。この時、ボウイ56歳。声も見た目も30代にしか見えぬほど若々しく、新旧の名曲を披露します(写真は実況録音盤)。しかし、ハンブルグ公演を前に動脈瘤で緊急入院します。

 以後、10年間ほぼ沈黙します。ボウイに極めて近い関係者も事実上の引退だと言及していましたが、66歳にして「ザ・ネクスト・デイ」(写真)を発表します。“ホェア・アー・ウィ・ナウ?”の美しき調べは、ボウイ健在を示しました。しかし、残された時間は長くはありませんでした。

 ボウイの変幻自在の音楽の根底に在ったのは何だったでしょうか?

「創造的な直感」と「戦略的な計算」。この正反対の二つの要素のシナジーです。そして、それを可能にしたのは自由な精神です。それこそロックミュージックの本質です。既存の価値観や常識に束縛されない自由を体現したのがボウイでした。

リスクを取って果敢に前へ
ホワイトの英断の数々

 モーリス・ホワイトは、1941年12月19日テネシー州メンフィスに誕生し、11歳の頃ドラムと出合います。17歳でシカゴに引越し、シカゴ音楽院で本格的に音楽を学びます。卒業後は、ブラックミュージックの嚆矢チェスレコード専属ドラマーに採用されて、職業音楽家として歩き始めます。最初のチャンスが25歳の時に訪れます。1966年、ラムゼイ・ルイス三重奏団のドラム奏者に抜擢されたのです。

 ルイス三重奏団は65年のアルバム「ジ・イン・クラウド」が全米2位となり、人気を博してました。ホワイトは、飛ぶ鳥を落とす勢いのルイス三重奏団への参加で、陽の当たる道に出た訳です。当時の雄姿を刻むのが「ライヴ・イン・トーキョー」です(写真)。1968年の実況録音で、ジャケット写真左に写るのが前途洋々の若きホワイトです。既に立派な髭を生やしていますね。