創業支援者からの言葉、
「京セラは潰れてもかまわない」

 そのとき、青山さんは西枝さんと同級生の交川有(まじかわたもつ)さんという人にも頼んでくださいました。交川さんは戦時中に特許局に勤めておられて、その当時は、宮木電機の常務をしておられました。西枝さんが専務で、交川さんが常務だったわけです。西枝さんと交川さんの間柄はツーカーの仲でした。

 西枝さんは交川さんと相談をして、「稲盛君というすばらしい人間がいるなら支援しよう」と決められました。そのときに西枝さんは、「宮木電機に出資してもらうと京セラは宮木電機の子会社になってしまう。それは彼らにとって決して良いことではない。京セラという会社はみんなが個人で支援をしよう」と言われ、当時の宮木電機の社長さんに、「専務である私も出資します。交川も出資します。あなたも資本金を出してください」と頼んでくださいました。

 さらに、宮木電機の他の役員の方々にも個人でお金を出すよう頼んでくださって、三〇〇万円の資本金をつくっていただいたのでした。そのために、京セラは最初から宮木電機の子会社にならなかったわけです。

 西枝さんは「京セラは宮木電機の子会社にしてはいけない。これは将来、たいへん発展するかもしれないし、つぶれるかもしれない。発展した場合に宮木電機が足かせになっては迷惑だろう。また、むしろつぶれる確率のほうが高い。宮木電機の子会社にしておいてつぶれたら、宮木電機の名誉にかかわる。だから、なるべく離しておいたほうがよろしい」という考え方をおもちでした。

 西枝さんは以前私に次のように言われたことがあります。

「私は宮木電機の専務です。宮木男也(おとや)という社長がつくられた宮木電機の番頭として、専務を務めています。宮木電機は私の命がある限り絶対につぶさないし、この会社を守っていくつもりです。しかし京セラはつぶれても構わないのです」

 会社ができた頃、宮木電機の役員もおられるところで言われたわけです。なんとまあ冷たいことを言われるなと思いました。「京セラはつぶれても構わない」と言われたのです。

 たぶん、同級生の青山さんから頼まれたので、支援をして会社をつくってあげるけれども、そのせいで番頭として勤めている宮木電機の足手まといになったり、宮木電機に迷惑をかけるようなことがあったのでは、宮木男也という社長に対して申し訳ない。そういう非常に古いけれどもすばらしい考え方をもっておられたのだと思います。「宮木電機に迷惑をかけてはならん」という考えからされたことが、京セラをどこの系列でもなく、まったく独自の会社として発展させていく基にもなったわけです。