「借金」に対する恐怖体験

 そういう形で設立したものですから、宮木電機の保証でお金は借りられない。ですが、資本金の三〇〇万円では設備をそろえられないものですから、西枝さんが自分の家屋敷を担保にして一〇〇〇万円、借りてくれることになったわけです。

 そのときに西枝さんが私に「稲盛君ががんばってくれるとは思うけれども、成功する会社というのは万に一つというところだからな。そう簡単に会社がうまくいくとは限らん。たくさんの会社ができてはつぶれていく。万に一つ成功するかしないかというのが会社なので、ダメかもしれない。そのときには銀行の担保に入れてある私の家屋敷も失うことになる。しかし家内に『それでもええか』と言ったら、家内も『はい』と言ったので、そういうことにした」とおっしゃってくださったのです。それが私の頭に強烈に残っていました。

 縁もゆかりもない、青山さんの紹介で知り合っただけの私にそこまでしていただいて、西枝さんに万が一にも迷惑をかけてはいけない。そういう気持ちが私を責め続けました。

 もう一つ、私の父親はくそ真面目で、人様から借金することが大嫌いでした。父親は戦前、私の小さい頃、鹿児島で印刷屋を営んでいました。大きな印刷機械があって、従業員もいましたから、田舎では成功者の部類に入ったと思います。しかし、それが空襲で灰塵に帰した後は、しばらく放心状態となり、戦後は一切、印刷屋を再開しようともしませんでした。私が「お父さん、またもう一回やろう」と言っても、「とんでもない、こんな厳しいインフレの時代に借金でもして七人もいる子どもを飢えさせてはたいへんだ」と少しも動こうとしませんでした。

 ことほど左様に借金が恐くて、慎重居士だった父親の血を引いているところへ、西枝さんから「つぶれれば家屋敷もとられてしまうかもしれない」と聞いたのですから、もう何が何でも借金を早く返さなければ、万一会社がつぶれたらたいへんなことになってしまうと思ったわけです。