なぜ「受け身人生」から「主体的な生き方」に一転したのか?
ムーギー 小さいころは親から溺愛されて、親の言う通りに生きてきて、洛星で野球部に入ったことで気力、体力と「勝負のおもしろさ」みたいなものを学ばれたということですが、学生時代に運動部だったという人は世の中にもけっこう多いと思います。しかしそういう人たちのなかでも、佐山さんのようにビジネスの世界で主体性やリーダーシップをガンガン発揮している人って少ないと思うんです。どうして佐山さんはそういう人間になることができたんでしょうか。佐山さんにとってターニングポイントと言えるような瞬間はあったんですか?
佐山 そういう意味では、私は30歳で大人になったと思ってるんです。30歳になる前と後とでは別の人間かと思うくらい変わりましたね。
ムーギー それはどういうことですか?
佐山 30歳まではとにかく受け身の人間でした。親の言う通りに洛星に行って、大学はお金がないから地元の国立しかダメだって言われてたから京大へ行って、当時はいまのような就職活動なんてない時代でしたから、大学の教授が「帝人を受けなさい」と言うから帝人を受けて、そこに就職したんです。もうほんとすべてが人に言われるままですよ。
ムーギー それは、とんでもなく受け身な進路選択ですね。
佐山 ほんとにそうですよ。野球で言えば、一球一球監督のサインみてバット振ってるようなもんです。親からも「寄らば大樹の陰」ってよく言われてて、とにかく大企業に入って、一生懸命働いていれば一生幸せでいられる、みたいに教えられてたんです。
ムーギー まさにそういう「受け身人生」を途中まで歩んできたわけですね。いきなり主体的にロケットスタートでなかったところが、私を含めた世の凡人に希望を与えてくれます。
佐山 私も30歳までは会社で一生懸命がんばってたんです。がんばれば評価されるし、昇格もできると、何の疑問もなく思ってましたから。実際、結構評価していただいてましたしね。でも、30歳になったとき、先輩社員たちを見て「これは、がんばったからって必ず昇格できるもんじゃないな」ってことがわかったんです。精一杯がんばって実績を上げて、50歳くらいになって昇格しないこともあると気づいて、そんなときに文句を言っても仕方がないのが大企業だと気がついた。いくら頑張ってもダメかもしれないとわかったときに私の考えはガラッと変わりましたね。大企業で生きて行くことをやめて、まったく違う道へ進もうと思ったんです。
ムーギー そこが佐山さんのすごいところですよね。当時、転職する人なんてほとんどいなかったでしょうし、いくら「がんばったって昇格できるもんじゃない」とわかったところで、他に移ることもできず、いまの会社にいつづけてしまう人がほとんどじゃないですか。それほどまでに「このままでは自分の将来はないな」と思ったんですか?
佐山 自分の将来がないな、というより、がんばった結果、50歳になって順調に昇格しなかったら、私はかなり文句を言うだろうなと思ったんです。しかし、それは言っても仕方がないことなんですよね。ですから、会社を辞めて、別の道に進もうと。当時、すでに子どもが二人いましたし、すぐ後にもう一人生まれるというころの話です。
ムーギー それがすごいですよね。それまではずっと受け身の人生を歩いてきたのに。
佐山 それまでずっと受け身の人生を過ごしてきたからこそ、そういう気持ちが溜まっていたんだと思うんですよ。それが一気に吹き出したって感じですね。30歳のときに、初めて自分で考えるようになって、自分のやりたいことをやろうと、司法試験の勉強を始めました。会社を辞めてでも、道路工事でも、夜の警備員の仕事でもやりながら、司法試験を受けようと思ってました。実際、司法試験の勉強はかなりやりました。
ムーギー 30歳のときに、そんなふうに強く思えたのは、どうしてなんでしょうか?
佐山 やっぱり気力と体力があったからですよ。
ムーギー 洛星の野球部で培った気力と体力。そこに繋がるんですね。
佐山 そうそう。やっぱり気力と体力がなかったら、そんなこと思えないですよ。失敗したってなんとかなるって思ってましたし、今振り返れば、30歳の転機を迎えて以降は、どんなに人が「失敗するに決まってる」「やめたほうがいい」と言うことだって、「これは楽しそうや」「これができたらおもしろそうや」ということばかりをやってきた気がしますね。そのベースにあるのは気力と体力。そして「勝負好き」というところですね。それが今の私をつくってくれているわけですから、やっぱり洛星の野球部のおかげですよ。