「快感」の先にしかゼロイチは生まれない

 僕は、この快感の先にゼロイチがあると考えています。

「今までになかったモノ」を生み出す過程では、「今まで誰も遭遇したことのない問題」が無数に発生します。それを一つひとつ乗り越えるたびに、「できた!」「わかった!」「ひらめいた!」という快感が走ります。その一つひとつがすでに、小さなゼロイチと言えます。

 たとえば、エジソンが発明した電球はそれ自体が・超級のゼロイチ・ですが、そこに行きつくまでのプロセスもすべて新しいものだったはず。ゆえに、そこで起こる問題もまた、すべて新しいものだったはずです。必然的にゼロイチの製品ができるプロセスは小さなゼロイチの集合になるわけです。ゼロイチの積み重ねが電球という製品に結実したとも言えます。

 この「今まで誰も遭遇したことのない問題」を解くプロセスで特に必要なのは、ひらめきです。論理思考による「解決策」が通用しなくなった先に、ゼロイチの成否を握る瞬間がやってきます。自分自身に驚きがないような思考や事実だけを積み上げて、論理思考の集大成としてできたプロダクトがゼロイチと言えるようなものに結実することは、残念ながら稀でしょう。それでできるなら、コンサルティングファームはゼロイチの宝庫となっているはずです。他の人を驚かせるようなアイデアの背景には、自分も驚くようなひらめきが少なからずあるものです。 

「脳内でも予想がつかないことがしばしば起こっているのです。だからこそ、ひらめきというのは、自分にとっても予想のつかないもので、それはいつでも突然やって来て我々を驚かせるわけです」

 これは脳科学者である茂木健一郎さんの著作『ひらめき脳』(新潮新書)の一節。まさに、そのとおりだと思います。僕たちが意識することのできない無意識の領域で、「自分(=意識)」にとっても「予想がつかないことがしばしば起こって」いる。そして、その「無意識の思考」がスパークしたときに、ひらめきは訪れて「我々(=意識)を驚かせる」。その瞬間に、ゼロイチの種が生まれていると思うのです。

 これを神がかった特殊な現象ととらえる必要はまったくありません。
 単に、「自分=意識」が把握している思考プロセス(言語化できる思考プロセス)は、脳の活動のほんの一部分にすぎず、僕らは言語化できない無意識の思考ももっている、という当たり前の事実にすぎません。そして、無意識の領域で起きるのがひらめきだからこそ、「我々(=意識)」にとっては常に「驚き」を伴うということなのです。