【追記】驚くべき日本外務省のやり口

上記の記事が「週刊ダイヤモンド」に掲載されてしばらくしたとき、読者の中林恵子さんと熊岡醇さんのお二人からお便りと資料をいただいた。資料には、なんと正定事件に関して、「当時の日本政府は日本軍の犯行と認めていなかった」ということが認められていた。

外務省が萩生田光一氏に渡した資料には、「『昭和14年2月28日現在、支那事変に関連する在支第三国(英米を除く)財産被害調査表』には、9名は『満州軍により殺害』との記述」がなされていると書かれている。満州軍、すなわち日本の支配下にあった軍の犯行だという説明である。ただし、女性200人を要求したということではないという説明ではあったが、日本側が殺害したことは認めるものだった。取材の結果、私はそのように記事に書いた。ところがそれは事実と異なっているというのだ。

中林、熊岡両氏提供の資料の第一は、1938(昭和13)年2月13日付の日本大使館・森島参事官が北京のフランス大使館のフランシス・ラコステ氏に宛てた書簡である。

そこには正定事件について、「(犯行は支那敗残兵の残党が犯人であるとの)推測を覆す証拠は見つからなかった。日本政府は本件及び占領地で起こったすべての件について責任を取りかねる」「しかしながら、東洋の平和と秩序を望む日本政府は同様の高貴な使命に身を捧げた宣教師の方々が、日本軍が戦った地で不運に見舞われたことに深くお悔やみを表明する。日支戦闘の最中にこのような不幸が発生したことに心より遺憾の意を表明する」と明記されている。

日本側の哀悼の意を表するために日本軍が追悼ミサに代表を送り、供花したこと、被害者への同情を表すために弔慰金を送ることなども、森島参事官の書簡には明記されている。日本政府は明確に、犯行は中国側の敗残兵によるものであり、日本軍は関わっていない旨を伝えたのだ。

さて、この書簡に対して、同年4月6日にフランス大使館から日本大使館に覚書が届いた。それについて「外務省欧亜局第二課」が翌1939(昭和14)年2月28日付のまとめで次のように記している。

「(昭和)13年4月16日付仏大使館覚書を以て本件に関しては今後何ら問題を提起せざる旨、申越」

これが中林、熊岡両氏に送っていただいた第2の資料だ。フランス側は森島参事官の書簡を受け取り、反論なしに、今後この件を問題にすることはないと書いてきた。つまり、正定事件は日本軍による犯行ではないと、フランス政府も認めていたのである。

だが、萩生田氏の「調査せよ」との指示を受けて、外務省が2016年2月にまとめた資料には前述のように、満州軍の犯行だと明記されていた。加えて外務省は、当時の「タブレット紙による詳細な記述」として、「日本の当局は、徹底した捜査を行った結果、これら宣教師は正規軍の日本兵(Japanese soldiers of the regular army)によって殺害されたとの結論に達した」などの情報を合わせて萩生田氏に渡している。当然、読む側は犯行は残念ながら日本軍によるものだったと思うだろう。

外務省が政治家を騙したと言えば言い過ぎであろうか。憎っくき人々である。

日本軍が殺害したのではないと、当時の外交官がきちんと説明し、フランス政府も納得していたことを、なぜ、現在の外交官らは事実を曲げて日本国をおとしめるのか。このような外務省は許せないと、心底、思う。